こんなのも撮っていた。
一度だけ会津若松から乗ったきり。
中身は165系と同じだった様な気がした。
そんな記憶しかない・・・。
1981年1月 東北本線 久喜~栗橋。
風が吹く。
心地よい風が青稲の海にさざ波を起こす。
タイフォンを鳴らし一両きりのディーゼルカーは軽やかなジョイント音を奏で、
滑るように流れてゆく。
かつて、熊谷から小泉まで中島飛行機等の物資運搬用に計画され、利根川に橋脚の足場を残し
終戦を迎え、結局妻沼までの盲腸線になってしまった。
その後、何度かまことしやかに線路復活の話題が地元新聞に載ったが実現することなく今に至る。
熊谷駅で秩父線のホームに居候して片道10キロちょっとの行ったり来たり。
妻沼では利根川の土手に阻まれ・・・。
それでもディーゼルエンジンの匂いが小さい旅の旅情をそそる。
そういえば、当時妻沼から通う高校の友達から聞いた話。
大水のあと何かのはずみで突然利根川に大きな水柱が上がることがあるって。
戦時中の米軍の不発弾が今でもあって、そんなタイミングで爆発することがあるそうな。
南海の青い海青い空、艦砲射撃の残り煙の黑やグレーが残像になる。
あんな綺麗なところで戦争したんだ。
後から来たものは解釈が先に立つからね。
平和な青稲の海でいなけりゃ。
1981年8月 東武妻沼線 大幡~妻沼。
社会人になり初めての夏休み。
確か5日か7日間ぐらいだったのだろう。
6月に免許を取り、鉄ではない友人の車で野宿の旅に出たんだっけ。
16号で八王子へ出て中央高速、勝沼までしか開通してなく、その後下道で伊那谷に入ったと記憶している。
甲府昭和から飯田方面はこのすぐ後に開通するのだが、まだこのときはそんな感じだったと、
甲府昭和と勝沼の開通はたぶん最後だったのでは・・・。
駒ケ根の大田切川の橋の下、時又の天竜川の河原、中部天竜駅、東城付近のどこか・・・。
なんとなく野宿した場所を覚えている。
初めての飯田線ということもありとりあえず全線を見渡して、ロケハン半分ドライブ半分というところだったようだ。
有名撮影地といっても、鉄の姿はほとんど見かけず楽しい旅だった。
その後、飯田線は結構通うことになるのだが、南部へ行ったのはこの時だけだった。
天竜峡から中部天竜に至る道々の細さに驚いたのも良い思い出。
此処が国道?・・・。断崖絶壁怖ぇ・・・。
とりあえず何枚か掲出します。
1981年8月 飯田線 為栗~平岡。