赤い電機。

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夏休みも終わろうとしていた8月、渋川の先生のお供で仙台に。

短い時間だったが仙石線や赤い電機の撮影をすることが出来た。

 

渋川の先生とはこの年の1月に大正橋のたもとでお会いして以来、大変と良くして頂き、

色々なところへ、毎度、先生の車に乗せていただき撮影へ行くようになっていた。

このときは、車両事故関係の技術的な証人と言う事で原告より依頼があり仙台に赴くので、

社会勉強という意味合いもあり、お誘いを頂いたというわけ。

出発の日は日中、吾妻線で撮影をし、夕方、大宮へ戻り、その晩の20系新星で仙台へ。

 

銀箱に三脚を持って法廷内に入るとき、撮影は出来ませんと、係員から注意を受け(もちろん

そんなつもりはありませんが)粛々と進む裁判に耳を傾けました。

裁判が終わり、依頼主の運転で蔵王のお釜を見に行ったのですが、覚えているのは

お釜の色と、ベンツの後部座席の乗り心地だけというなんとも贅沢な旅でした。

 

そして翌日、仙石線や東北線小牛田で撮影をして、583ひばりに乗って帰ってきたのでした。

 

 

思い出すと、後にも先にも、赤い電機を撮影したのはこの時だけだったなぁ。

あっそう、帰りの583の寝台設備が車両の動揺で、絶えずきしみ音がしていたのも覚えている。

 

 

1979年8月                             東北線内(たぶん小牛田駅)

 

石打でEF16とEF65。

197907_3_002_3isiuchi.jpg夏の夜。

虫の声を聞きながらの石打。

半袖では少し寒い夜。

 

宇都宮のロクゴが貨物を牽いてきた。

機回しをしてやってきたのは12番。

 

連結を終え、峠へ向かうほんの少し前。

コンプレッサーの鼓動が出発のブザーと混ざり合う。

 

ロクゴが少し高い合図を16に送り返す。

さぁまもなく出発進行。

 

 

1979年7月                  石打駅。

 

EF16のデッキ。

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夏休み2回目の石打。

 

ネガの順番からして、上の写真を撮って、それから下の写真。

 

 

どう見てもデッキの上から撮っている。

記憶が曖昧だ。

 

いずれにせよ、よい時代だったことは確かだ。

他に撮影者がいたらこんな構図ありえないし。

 

 

1979年8月                     石打駅。

 

EF16、峠へ。

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——–娘さんよく聞けよ山男にゃ惚れるなよ。——–

 

ニッカボッカとチョッキにカッターシャツ。

重登山靴に二重の靴下。

キスリングを背負って。

谷川に向かう山男の正装。

 

 

そう、此処にも・・・。

 

愚直な昭和の山男は今宵も挑む。

 

 

1979年7月                   石打駅。

 

165系でくじらなみ。

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くじらなみ。

 

峠を降りると水平線。

海水浴場の右手には洞窟にも似た景色。

 

浜茶屋の茣蓙の匂い。

焼きそばと烏賊焼きの匂い。

簡易シャワー室の水着と体臭の臭い。

 

 

くじらなみは鯨波に。

 

 

1979年7月                 石打駅。

 

急行越前、宮原進入。

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モノクロアーカイブ、2ヶ月ほど前に戻ります。

見直しをしていたら、やっぱりと思って。

 

 

ここ宮原駅界隈の写真をよく撮っている方がいます。

ホームページ名、「58&SL写真館」の御方。

宮浜にもよく通っておられているようで、80年代のゴハチの写真も沢山撮られています。

僕より年上の方のようで、現役のSLの写真も沢山紹介しておられます。

 

実は、去年の夏に一度だけ此処宮原でお見受けしました。

ご挨拶も出来なかったけど、ブログでそのときの写真を出していて、ほかに撮影している人は

居なかったので、その方と確信しました。

 

 

不思議な気分ですが、今の世の中、そんな出会いもあるんですね。

誰かが言いました、自分はあなたを知らないけれどあなたは自分を知っている。

 

 

1979年5月                           上尾~宮原。

 

新清水トンネルの駅。

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風が吹く。

 

湯檜曽の駅の待合室で寝ていると、通路を伝い風が轟音のようにやってくる。

おちおち寝ていられない。

独りでいると待合室が大きすぎて落ち着かない。

 

そんなあるとき、一の倉沢から降りてきたクライマーと駅の待合室で一晩を共にしたことがあった。

酒が無くなり、夜な夜な近くの酒屋へ行き、利根錦を買ってきて二人して飲んだ。

「店、もう閉まってますよ」

「大丈夫、いつもこうしているから・・・」

店の戸をドンドン叩き、寝ている店の人を起こして、酒を買う。

豪快な山ヤさんだったな。

 

去年の12月、湯檜曽駅が改修されている現場をたまたま見た。

もう、風は吹かないのかなぁ。

 

 

1979年7月                 湯檜曽駅。