久しく、履くことのなくなってしまった靴。
手入れをしたままだ。
革とクリームの匂いが、あのときの山行を彷彿とさせる。
いとおしく苦しくもある過去。
山靴を眺め
過のひとを想い出すかな
夜の潟に
冬の使者の声を聞く
久しく、履くことのなくなってしまった靴。
手入れをしたままだ。
革とクリームの匂いが、あのときの山行を彷彿とさせる。
いとおしく苦しくもある過去。
山靴を眺め
過のひとを想い出すかな
夜の潟に
冬の使者の声を聞く
あれから2年になろうとしている。
先日、国道291号線が全線開通した。
いたるところ工事だ。丘陵地から眺める工事現場は、谷底のダム建設のように見える。
真新しい道路標識も、ほとんどが通行止めとなっている。
いつになったら、静かな昔に戻るのだろう。
山古志の土砂崩れダムを見下ろす。
紙切れ一枚で遠く南方や満州に動員され、挙句に国家に見捨てられ、野末のしゃれこうべとなった多くの先人たち。
翼賛の時代、関東軍の暴走。
侵略侵攻された、彼の国々。
紙切れすらなく、突然の日本行き、行ってみたらタコ部屋労働、人間以下の扱い、繰り返される暴力、粗末な食事。
祖国に帰れることなく、日本の野末の土の下となった多くの人々。
アイゴーと叫ぶ彼らの声がそこかしこから聞こえる。
身内の命日でもある15日に、ふと考えた。
平和とは。
夏の青空を仰ぎ、合掌。
ふと、六日町へと用事のついでに、土樽駅へ行ってきた。
無人駅となって久しい待合室には、外国の方がお二人、山から降りられて来たようで汽車を待っておられました。
特急退避で2番線についた各駅停車の窓から線路を見下ろすと冬季融雪の水路があり、あの暑い日にそこへ魚が泳いでいるのを見たのはずいぶん昔の事だった。
赤錆びた水路には何もいなかった。
土樽駅のすぐ脇に関越自動車が通っている。
なぜか冬に見た景色を思い出した。
魚沼は金城山の麓、曹洞宗の名刹である雲洞庵。
火車落しの伝説でも知られ、他にも民話や伝説に度々取り上げられることの多いお寺です。
大月へ向かう道すがらハンノキを見つけた。
これから不定期ではありますが、日々感じたことや野外活動にかかわることをつづっていきたいと思います。
兄の影響を受け小学生の頃から鉄道写真を撮り始め、EF57に出会いそれから本格的に写真にのめりこむのには時間はかかりませんでした。
幸い、年上の人たちが多い環境でしたのでいろんな意味で写真の基礎を学べたのがよかったのかもしれません。
ゴナナが無くなり、青梅、吾妻、両毛、身延、飯田の各線によりどころを求め、また上越線には特別の思い入れがあり四季を通じて通いました。
鉄道写真は風景主体の撮影が多かったこともあり、気がついてみるとC220からペンタ6×7、マミヤプレス、GW690といろいろなカメラを使いその後4×5、8×10を使用し風景写真に傾倒、北海道は十勝地方を中心に撮影をしていた時期もありました。
何はともあれ、よろしくお願いします。