今日から仕事で北陸へ。
まずは冬の陽をたっぷり浴びておこう。
山の向こうは雪雲が迫っている。
2012年1月30日 神保原~新町。
今日から仕事で北陸へ。
まずは冬の陽をたっぷり浴びておこう。
山の向こうは雪雲が迫っている。
2012年1月30日 神保原~新町。
夜ふけ過ぎに雪に・・・。
朝になると気温が低く至る所で凍っている。
ちょうど新潟市内のような朝。
カーブした駅なのでしっかり確認。車掌さんも寒いだろう。
駅を降りて、凍った道路を馴れた歩調でサッサカ進む。
2012年1月24日 下赤塚駅。
遠くに踏切の音。
キハがライトをつけて冬の低い日差しの中、小さなサミットを登ってくる。
短いタイフォンを鳴らし足元の落ち葉を舞い上げる。
行ってしまうと、木枯らしが身にしみる。
2012年1月14日
竹沢~折原。
車を止める。
あぁこんなところがあったんだ。
今まで何度も通っていたのに気づきませんでした。
娘にちょっと行ってくると車に残しスタスタと歩いてしゃがみこむ。
すぐに電車は来た。
「ちゃんと撮れた?」
今日二度目の「うーん・・もちろん!」
2012年1月6日
東武竹沢~男衾。
今日は午前中バスケの練習に行った娘を迎えに行き、その足で車を走らせ此処へ。
コンロを持って行き、道端でお湯を沸かしてカップラーメンのお昼。
「あったかいねぇ・・・」
娘と二人フウフウ言いながら麺をすする。
まもなく気動車がやってきた。
「ちゃんと撮れた?」
「もちろん・・・!」
日差しは暖かいけど池の氷はまだ凍っている。
「さあ、移動するよ」
2012年1月6日 折原~竹沢。
今年もまもなく終わりです。
たぶん雪が降り積もっているであろう、ふるさとの地。
そんなことを、ちらりと想い今宵も一献傾けよう。
「とき」が雪の中に連れて行ってくれるかな・・・。
1980年12月 岩原スキー場前~越後湯沢。
ブローニで撮影することが当たり前になっていたこの頃。
マミヤC220を買ったのは高校2年の時だから1979年だと。そうするとブローニを使い始めて2年目1980年9月、
つまりこの写真、高校3年生の時の大宮駅での撮影となります。
もう、31年も前になるのね。
昨今、駅だけではなく有名撮影地と呼ばれる場所では色々トラブルも多く、本当に鉄道ファンなの?という輩が出没しているようで、イベント列車や工臨しか頭に無い追っかけ専門の方もいるようです。また人が撮るから自分もとか、雑誌に載っていたから同じ場所で同じ構図でなんて方もいるようです。まぁ自分も白状すると最初の数年間は確かにそれらに近い行動はしていたと思います。ただ自分だけの撮影地の開拓いわゆるロケハンがベースという気持ちは持ち続けていました。結果その後の4×5や8×10で風景写真に傾倒、ある意味当然の流れだったのかもしれません。そしてしばらくは鉄道写真からは遠ざかっていました。
数年前に「鉄」の道に帰ってきて、車輌等の変貌に驚き、さらに大衆化し撮り鉄なとど呼ばれるオタク化されたカテゴリーが存在することにも驚きました。
静かな場所で、自分の撮りたい画を創る。しかしこの静かなという部分が今とっても難しくなっているように思います。
自分の撮りたい画・・・、ややもすると自分勝手な行動になりやすい衝動です。
自分のポリシーは、撮らせて頂く。
ここ数年「鉄」復活後、自分の隣に他の人がいたことは1~2回でしょうか。
構図に悩み、いろいろ想いをめぐらせるときは一人のほうが良い様な気がします。
まぁこの考え自体が偏っているといわれればそれまでですが・・・・。
もう夜の大宮駅でのんびり撮影するなんて無理ですかねぇ。ちょっと寂しい気もします。
ゴハチの35番に思いを馳せ、今宵はこれから一杯なんてね。
夜汽車の汽笛が聞こえる。心の中に。
1980年9月
大宮駅。
御荷鉾山の稜線はけぶっている。
さては、鬼石あたりは風花でも舞っているか。
両神の左にほんのさっき日が落ちそして隠れた。
家路を急ぐたくさんの人を乗せ、秩父の山懐へと電車は向かう。
2011年12月26日
大麻生~明戸。
傾きかけた太陽を浴び、唸りを上げて築堤を駆け登っていく。
ディーゼルの燃えた匂いを微かに残して去ってゆく。
今日は一日ここいら辺で過ごしたなぁ。
セルを回して暖房を入れて・・さぁこちらもエンジン全開(もうそんな歳じゃないので本当はゆっくりと)。
タバコをくゆらせハンドル捌いてさぁ帰ろう。
2011年12月24日
折原~寄居。
田んぼのわずかな残り水が午後になっても凍っている。
また風が出てきた。
冷たい北風。
気動車は日差しを浴びて心なしかほっとしている。
2011年12月24日 折原~竹沢。