屈斜路湖から津別峠を越えた。
何も見えない。すれ違う車も無い。
霧の中、白樺が出迎えてくれた。
2014年7月27日 津別町内。
鬼押し出しの向った先に、鎌原の集落が有った。
溶岩土石流に飲み込まれた鎌原の人々を救ったのは高台にある観音堂。
僅かに残った人々はその土地を離れることなく、新たに血縁関係を結んでそこに留まった。
幾世代もの時を経て今も末裔に当たる人々が当番制で集落12班4~5人づつ毎日観音堂に集い
歴史を繋いでいる。
現役の囲炉裏に燻された柱や天井は見事に光っている。
資料館なんかの旧家屋の囲炉裏はダメだ。
死んでいるものを見せたって、それは机上の勉強となんら変わりない。
進められるまま囲炉裏端の座布団に。
お茶をご馳走になり、最近の集落の様子などを伺う。
御多分にもれず高齢化が進む現在、観音堂に集う人々も減ってきたとのこと。
北軽井沢のはずれとでも言うべき土地柄、別荘に住む人も増え、リタイヤした
団塊世代の定住も最近では増えたそうだ。
観音堂のそばに、資料館がある。
そこでは、学芸員の方が親切に説明してくれる。
一見の価値あり。
2014年5月23日 群馬県 鬼押し出しにて。
此処は気持ちいいよ。
東上線の荒川鉄橋を渡る音、秩父線のデキのホイッスル。
そしてキハは荒川鉄橋を渡る音がして暫くするとこの築堤に差し掛かる。
かつてはキューロクやデゴイチがあえぎ登ったであろう勾配だ。
とはいっても彼らの姿を僕は知らない。
初めて八高線の高麗川駅に写真を撮りに行ったのは蒸気機関車全廃後の1974年と記憶している。
兄貴にくっ付いてキハ17やらDD51を撮り、帰路に着いたのを覚えている。
その後のキハ20やキハ40そしてタンカー列車のDD51重連貨物も懐かしい思い出だ。
春の築堤を眺め、腰を下ろし煙草をくゆらす・・・。
2014年4月19日 八高線 折原~寄居。