戦時中東松山駅西にある、今は外資系企業になった工場へ勤めていたという
おじいさんとしばしの話。
当時作っていた戦車のエンジンはディーゼルだった。なぜなら、ガソリンに比べて
気化性が低く、装甲を破損してもすぐには爆発しないからだそうだ。
戦争末期には、ドイツの潜水艦のエンジンも関係していたようなことも語っていた。
また、当然のことながら工場も空襲を受けて、トイレの窓から見る松の木に
機銃掃射の弾跡が戦後しばらく残っていたとも話しておられた。
懐かしそうに、穏やかに・・・おじいさんは鍬を片手に、畑へ向かって行った。
「よい写真が取れますように」
「はい、ありがとうございます」
「なに、あんたが東松山だって言うから、つい懐かしくて・・・」
「いえこちらこそ、ありがとうございました。
「それでは」
「それでは」
そういえば、外資系企業は今、ドイツ資本のメーカーだっけ。
もちろん自動車の燃料ポンプを造っている訳で、潜水艦ではないけれど・・・。
昼下がり・・・。しばらくして、キハがディーゼルエンジンも軽やかに下っていった。
2011年6月8日 寄居~折原。