分厚いよう壁に守られて、荒川の渓谷にしがみつくように、旧140号と秩父鉄道が併走している。
よくもまぁ昭和の始めにこんなところに鉄道を作ったものだ。昭和5年といえば上越線清水トンネル開通の年ではないか。考えてみれば日本の土木技術はそれだけ高かった証だろう。
たぶんその後の何度かの補修で分厚くなったのであろう、よう壁。
セメントと武甲山石灰石。
よう壁を見ているとなぜかデキともマッチする。
2011年6月8日 波久礼~樋口。
分厚いよう壁に守られて、荒川の渓谷にしがみつくように、旧140号と秩父鉄道が併走している。
よくもまぁ昭和の始めにこんなところに鉄道を作ったものだ。昭和5年といえば上越線清水トンネル開通の年ではないか。考えてみれば日本の土木技術はそれだけ高かった証だろう。
たぶんその後の何度かの補修で分厚くなったのであろう、よう壁。
セメントと武甲山石灰石。
よう壁を見ているとなぜかデキともマッチする。
2011年6月8日 波久礼~樋口。