川越線のキハと。

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こんなのも撮っていた。

 

今では埼京線なんて呼ばれているが、この頃はもちろん非電化。

キハ30、35、36・・・。

隣りの高崎線の下りは、15の牽く貨物、トラが付いていたり・・・。

 

雪が残る大宮は大成橋で。

 

 

1980年1月            日進~大宮。

 

新保屋小路。

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傘通らん小路・・・。

 

場末の昼下がり。

 

 

聞き覚えのある懐かしい声が、テレビと食器の音に混じり、

玄関のすだれの隙間から小路へ漏れてくる。

 

 

小学生の頃、夏休みになるといつも此処見附に来ていた。

陽に照らされてコールタールの匂いがどこからともなくしてくる。

短パンとランニングの僕が歩いている。

 

 

夏の終わりに、同じ匂いが鼻腔を抜ける。

おじさん、おばさん。顔も見せずに失礼します。

一礼して。

 

 

2010年9月10日               見附市新保屋小路。

 

大成橋、冬晴れ。

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本当にあの頃の情報は凄かったなぁ。

今みたいにネットもなく、ダイヤ情報もそんなに詳しくはなかった。

なのに、あるルートからの情報は絶対で、いろいろな列車を撮影することが出来た。

 

でもこの日、此処で撮っていたのは自分だけだったように記憶している。

 

 

もう、イベント列車を追いかけることはなくなった。

和気あいあいも楽しいけど、やっぱりひとりの方が気楽だからね。

まぁ、こんな列車でも、当時は人が集まることはなかったから撮っていたということかな。

 

 

1980年1月                   宮原~大宮。

 

岩原の踏切。

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岩原の165キロポストの踏み切りに差し掛かる183とき。

 

軽トラしか通れないような小さな踏切。

冬になると閉鎖されてしまう。

指差往呼して慎重に渡る。

 

三脚を構え暫らくすると、タイフォンを鳴らしライトを点灯し「とき」がやってきた。

手を上げ合図をし、その後レリーズを切る。

 

雪がしまっていてさほど雪煙は立たない。

 

 

今では、踏切はなくなり立体交差になり道路が下をくぐる。

 

 

1980年1月                    岩原スキー場前~越後中里。

 

岩原の保線小屋。

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岩原の保線小屋。

煙突も付いていて、作業の合間にストーブでも焚いていたのだろうか。

でも、この年は雪が少なく小屋も見えるが、普段の年は雪の壁となり、

小屋そのものも使えなかったはず。

 

当時、この定番構図に、編成が切れ小屋を入れることを嫌っていたむきもあったが、

今となっては懐かしい。

 

 

1980年1月              岩原スキー場前~越後中里。

 

岩原のはくたか。

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なにはともあれ、久しぶりの更新です。

 

今も、金沢から越後湯沢まではくたかが走っている。

その昔、魚沼丘陵の築堤を見て、未成線かぁ十日町のほうへ行く線路らしい

そんな風にしか思っていなかったあの線路にほくほく線が出来るなんて想像も付かなかった。

 

もうちょっと足を伸ばせば、此処にも来れるのに。

 

 

1980年1月                   越後中里~岩原スキー場前。