魚沼、夏の日の朝。

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もやが上がり、今日もまた熱い一日の予感。

 

田んぼの青稲も、太陽を浴び今目覚める。

 

 

此処へ来る途中の神社では、ラジオ体操のカードを首からぶら下げた子供たちの眠そうな目。

さぁ、一日の始まり。

元気良く。

 

 

一番列車の回送送り込みが往く。

元気良く。

 

 

2010年8月3日                石打~越後湯沢。

 

赤坂の峠下。

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三俣の宿を過ぎ芝原峠を越えると、やっと湯沢の宿。温泉もあり、峠越えの人々も一息ついたことだろう。

さて、次の関の宿へは、赤坂の難所が待っている。

三国越えの後の赤坂の峠は、さぞ難儀であったであろう。

 

踏み切りの向こうには、子の権現。

足腰の神様、峠越えの人々に災い無きよう、お守りください。

 

 

新しくなった国道17号。

今でも、リゾートマンションの脇を、登坂車線に喘ぎトラックは黒煙を吐く。

乗用車は、追い越し車線を、ものともせずに駆け上がる。

 

そんな傍らに、峠越えの使命を終えた道。そして踏切。

貨物列車が通り過ぎる。

 

 

2010年8月3日               越後湯沢~石打。

 

雪の少ない石打、夜。

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拙いブログのモノクロアースイブスも1974年から、やっと、1980年までやってきました。

1980年のしょっぱなは、やっぱり、大好きな石打で。

 

雪が少ない年明け、前日は岩原に居て、夜はやっぱり石打。

 

ストーブが一晩中焚かれた待合室に戻ったのは、4時近くだった。

ちょうど64が投入され始めた頃。

 

 

実は、昨日も仕事で、苗場に行ってきたのだが、17号を逸れ、石打駅前の岡村貢翁の

銅像を拝んで帰ってきた。

真夏の石打は、稲が青々とし、白い雲が山の端に浮かび、緑の風が吹いていた。

 

線路の際は、鉄の擦れた匂いと、草いきれ。

季節こそ違うけど、あの頃と変わらない自分がそこには居た。

 

 

1980年1月                          石打駅。