未だに特急と言えば「とき」と答えるほど・・・。
何と言ったってボンネット!。
スカートはシルバーじゃなくちゃ。
色、デザイン。これに勝るもの無し!。
JNRマークも誇らしく雪の長岡駅に到着する「とき」。
かっこいいねぇ。
1977年1月 長岡駅。
未だに特急と言えば「とき」と答えるほど・・・。
何と言ったってボンネット!。
スカートはシルバーじゃなくちゃ。
色、デザイン。これに勝るもの無し!。
JNRマークも誇らしく雪の長岡駅に到着する「とき」。
かっこいいねぇ。
1977年1月 長岡駅。
朝、目覚めると雲が動いている。
尾根を乗越し、厚みを帯びスカイラインを彷彿とさせる。
太陽は雲との戦いに遠慮する。
2009年7月28日 魚野川旭橋にて。
彼女と別れる。
何も知らない、何も出来ない・・・。 でも、初めて人を好きになった時のことは生涯忘れない。
至らない自分。大人だった彼女。
いつだって恋愛は本気だと、その後の人生で繰り返してきた。
だからこそ恥ずかしい自分が何時だっている。
ゴナナの最後を大宮駅で迎えた。
今でも恋焦がれる・・・「ゴナナだよ」。
こんな自分に想い出をたくさん残し、30年も過ぎてもう一度、鉄道写真の素晴らしさを
思い出させてくれた素てきな彼女。
鉄道写真を再会して4ヶ月。20年以上のブランクをあなたが見守ってくれました。
ゴナナよありがとう。そしてさようなら。
ふと、北の台地を旅していたころを思い出しました。
「飄々と漂うこと」の意味を訪いかけ、去って行った彼女。
あなたのおかげで旅を続けて来れました。
何処かで幸せに生きていますよう。
今でも黄色い便箋は僕の宝物です。
1977年1月 大宮駅・1102レ。
梅雨のあいまに見えたものは。森のあいだをすり抜ける列車。
一本前の貨物はボサっとしているあいだに通り過ぎてしまった。失態・・・。
しかし山登りが出来なくて、行ってもガスの中だったり、モヤっていたりと、
狙いの写真が撮れない。
梅雨明けを待つあいだせいぜいロケハンでもしましょうか。
2009年7月20日 越後中里~岩原スキー場前。
東大宮への回送か何かでは。
ゴナナの出番も少なくなり、こんなものを撮っていたのだが記憶に無い。
こんな格好のゴナナはかっこよくないな。と言うより寂しいな。
もうすぐ師走の頃。
1976年12月 大宮~東大宮。
流し撮りの一枚で1号機。
いったいどんな気持ちで切ったのか・・・。
なるほどなのか、やむおえないなのか・・たぶん後者。
今以って納得のいかないこと、そして恥ずかしい自分が沢山ある。でもそれは大切な経過であり
周りに多大な犠牲を与えた結果の上に成り立っている。
かっこ良さはいらない。正直に。
でも本当はそれが一番難しい。
1976年11月 東大宮~蓮田。
どこか上田の庄を思い出す風景。
上杉家転封の土地は、ただの偶然か・・・。
昼下がり、手持ち無沙汰の椅子たち。
雪や風にさらされた彼らに暖かいぬくもりがいつまでも続きますように・・・。
でも、もうすぐ夏休み。また寂しくなるんだね。
夏を乗りきり稲穂が色づく頃まで待っててね。
初めて訪れた置賜は、新幹線や高速道路が出来る前のあの頃があった。
2009年7月15日 白兎。
上野駅地下ホーム。
終着駅そして旅立ちの駅。
そのとき人はいろんな想いをめぐらせ此処に立つ。
夕焼けに紅く染まる
故郷の手紙
握り締め駆け出せば涙があふれてた
帰りたい今すぐにでも
荷物をまとめて
大きな声で叫んだ故郷へ届けと・・・・・・
上野発はつかり5号見送れば夕焼け。
1976年10月 上野駅。
何処で撮ったのか記憶に無い。
たぶん川井から古里のあたりでは。
はじめて見る16はゴナナに比べると小さくて、ただリベット打ちのボディがやけに古めかしく
見えた。
線路カブリつきしか当時の記憶に無い。
1976年10月 川井~古里のあたり。
日進~大宮~南浦和~西国分寺~立川。やっと青梅線に乗る。
まずは有名撮影地、川井の鉄橋。
来たのは73系。うーんここは東京かっていう感じ。
まぁ当時の足といえば、近場は自転車、遠出は電車が当たり前。
青梅線へ行くのには撮影時間のわりに乗換えが多くて。
秋の日の青梅線は、「奥多摩」を初めて感じた一日だった。
1976年10月 川井~古里。