真っ直ぐな道。

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春の日差しがどこまでも続くように線路も延びる。

 

昼下がりローカル4連が田んぼの中を通り過ぎる。

 

 

そういえば何日か滞在していたのだが、昼飯の記憶が無い。たぶん食べなかったのだろう。

今でもそうだが、出かけるとどこか食堂やレストランへ入ることはめったに無い。

なんとなく恥ずかしいのと、人の中にいる事が嫌いだから。

まぁコンビニの弁当がイイところ。

 

あの頃はコンビニもなく、遠征でも初日のめしは自宅で作ったおにぎりを持っていったし、

水は水筒。冬、石打の駅にバルブに行ったときはおにぎりがカチンコチン、水筒はシャリシャリ

いっていた。

考えてみるとたまに食べる駅そばが贅沢だったなぁ。

 

今、この陸橋の上を車で通る。

助手席のかたわらには買ってきたおにぎりとペットボトル。

煙草を燻らせて。

 

横目で真っ直ぐな線路を見ながら。

 

 

1978年3月       見附~帯織。

 

見附のダンプ道路。

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通称「ダンプ道路」。

今ならば見附のツタヤから大平公園へ行く道といったら分かりやすいかな。

 

当時は道路が出来てすぐの頃で、一般車より何かの開発のための道路だったのか

やたらとダンプが行き来していた。

 

この頃のローカルは編成も長く絵になった。

クハ75やクハ68もいて、70系の天下といったところで沢山の列車を撮ることが出来た。

残雪の山々、区画整理されていない田んぼ、はんの木もあり、一日いても飽きないところだった。

 

当ブログ記事の9月11日の写真はまさに此処。(一枚目写真の左から撮ったもの)

 

 

1978年3月     見附~帯織。

 

はんの木。

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田んぼには稲を干すたくさんの「はんの木」。

 

やっと雪解けなった田んぼに春の日差しが輝く。

田おこしはレンゲが咲いて畦にセリが出てから。

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(モードラも無い時代、木々のあいだで押さえるのには気を使った。)

 

春の越後路は田んぼのにほいと青い空白い雲。

同じ風でも何と心地よいものか。

 

 

1978年3月    東光寺~三条。

          見附~帯織。

 

733Mで高崎そして長岡へ。

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やっと高崎。

天の川に抜かれる。

20系にブルーのゴハチ。似合うねぇ。

駅そば食べて・・・さぁ。

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着いたのは長岡。

新幹線の高架が出来様変わりしている。

まずは原型窓の76がいらっしゃい。

 

ちょっと眠たいけど、乗り換えて・・・。

 

 

1978年3月     高崎駅。

          長岡駅。

 

上野駅で733Mを待つあいだ。

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春休み。

中学を卒業し高校へ上がる前の一番楽しい時間。

 

さぁ何処へ行こう。

181や70系!。そう春まだ浅き越後へ行こう。

 

記憶に無いのだが、どうやら始発から乗るために上野へ行った様だ。

とりあえず181「とき」から・・・。

 

 

1978年3月      上野駅。

 

夕闇迫る頃。

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秋の日はつるべおとし。

 

あの夏の日にはまだ太陽が西に傾きはすれ、夕方の訪れの中それでも輝いていた。

四季の移り変わりといってしまえばそれまでだが、やっぱり秋は心が震える。

 

震えた心は、沈丁花のにほいと共に、初恋の頃を思い出す。

彼女と帰った道すがら、自転車のライトの発電機をヒュンヒュン鳴らして・・・。

ススキの穂・・・雑木林を通り過ぎ・・・。

 

 

2009年10月16日      岩原スキー場前~越後中里。

 

残照の停車場に貨物が通り過ぎる。

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残照の中、国境の停車場に風が吹く。

鉄の擦れた匂いが通り過ぎる。

 

無人となった駅の待合室には、国境を越え茂倉新道を降りてきた登山者がひとり。

「良い山でしたと」満足そうに今日の一日を振り返り余韻に浸っていた。

眼をつむった彼のなか、念想はまだ山を駆け廻っているかのようだった。

 

「良い山旅を・・・さようなら」

 

さぁ、カメラを片付け、野宿でひとり一杯やろう。

 

 

2009年10月16日       土樽駅。