通称「ダンプ道路」。
今ならば見附のツタヤから大平公園へ行く道といったら分かりやすいかな。
当時は道路が出来てすぐの頃で、一般車より何かの開発のための道路だったのか
やたらとダンプが行き来していた。
この頃のローカルは編成も長く絵になった。
クハ75やクハ68もいて、70系の天下といったところで沢山の列車を撮ることが出来た。
残雪の山々、区画整理されていない田んぼ、はんの木もあり、一日いても飽きないところだった。
当ブログ記事の9月11日の写真はまさに此処。(一枚目写真の左から撮ったもの)
1978年3月 見附~帯織。
自分の誕生日は1978年3月25日。
自分が生まれたその時には、高校1年生だったんですね。
ウチの親父が、電車に乗るのが大好きな人で、酒が大好きで、いつもタバコ臭くて。小学生の頃、日曜日になると必ず電車に乗せられ、色んな所に連れて行かれた記憶が、ブログを呼んで思い出しました。
高崎にダルマを買いに行くのに、上野から電車に乗り、何時間もかけて行くのが当時はとても嫌だったんです。
しかし、年齢を重ねてみると、ほんの少しだけですが、親父の楽しみを理解出来てきた自分も居ます。
生きてりゃ何歳になったのかなー。
一緒に電車に乗って、酒飲みながらフラっと旅に行ってみたかったなー。と思ってみました。
そんな想いにさせてくれたブログで御座いました。
一昨日はありがとうございました。
酔っぱらいました・・。楽しかったです。
お父さんの想い出素敵ですね。今度またお話しお聞かせ下さい。
しょうもないブログですが読んで頂き嬉しいです。
またよろしくお願いします。