東大宮から蓮田の撮影地を最近ではヒガハスなんて陳腐な名前で呼ぶ輩がいるようだ。
呼び名なんて所詮どうでも良いのかもしれないが、あえて「宮浜」と呼びたい。
もっと昔の人から言わせれば「宮浜」も陳腐なのかもしれないが・・・。
ゴナナ時代、此処に集まる一部の連中が呼んでいたのが、すなわち「宮浜」。
字のごとく「ミヤハマ」と呼んでいた。
「明日どこへ行く・・・」
「ミヤハマ・・・」
「牛田?」
「うん、田んぼに水が入ったからサイドビューかな・・・」
なんて会話があの頃交わされていた。
東大宮から蓮田までのたった一駅の区間で、7対3の基本から、サイドビュー、流し撮り、シルエット、俯瞰、切り取り構図、さては構図内の邪魔物をいかに処理するか・・・・・。色々と基本を学んだのが此処だった。
シャッタースピード、露出、ピントはマニュアルが当たり前・・・レンズだって短焦点しか選択出来なかった。
今どきの鉄は随分とカメラ任せになってしまったようだが、用は「撮れた」のではなく「撮った」・・・。言い換えてみれば撮った結果からしか失敗は学べない事もが、ただ撮れてしまって気づかずにいるのではないだろうか。
大きい意味で、技術の進歩でマニュアルである必要は無くなってしまった。絞りもピントもシャッタースピードも、画角だってズームで何とかなってしまう。感材の進歩ではエマルジョンナンバーの色補正をゼラチンでやることも無くなった・・。
ちょっと待て、カメラなど進歩で確かに便利になったことは否めない。かく言う自分も現在ではデジタルカメラを含め今の機材(パソコンやソフト等)に助けられているのも事実。
昔のような要らない苦労(機能、感材)はしなくていいだろう。ましてや昔は良かったなんて言葉で若者を潰すくだらない大人になれとはもちろん言わない。
だだひとつ変わらないこと。
鉄道や景色は、そこに在る物でしかない。
撮らせて頂く中で、自分のわがまま(撮りたい欲求)をどう叶えるか。
ロケハンしようよ!。
お立ち台だって構わない、もっと周りを見回してみようよ。
一歩でもいい横へ動いてみようよ、しゃがんでみようよ。
要らない連写のなかの一枚だったら、要る連写の中の一枚を大切にしようよ!。
言い訳や奇をてらう一枚じゃなくて、堂々と、その一枚を撮ろうよ。
撮れたのではなく撮った一枚を失敗を含め大切にしようよ!。
そこには何年経っても色あせない景色が待っている。
まぁ、そんな偉そうに言う自分の写真がこんな物ですから・・・・。失敬。
十数年ぶりに兄貴と一緒にミヤハマしました。
もちろん、レンズも構図も違います。
やっぱり勉強になりました。
また行こうね・・兄貴・・・・・。
2012年9月5日
東大宮~蓮田(ミヤハマ)
部会長殿
実は、ヒガハスもワシクリも行ったことがありません。ましてや、宮浜、牛田とやらが何処なのか、皆目見当もつきません。
こんな、撮り鉄には到底該当しない私でも、おっしゃることの大切さは何となく解る気がします。
実際、今は昔と違って制約だらけで、ズームで切り取るしかないと感じることも多く、単焦点は荷物になるだけ、と家で留守番。「ズームは歪曲が酷いので鉄道写真には向かない」なんて読みかじっていた頃が嘘のようです。
また、フィルム代、現像代が掛らなくなった今、知らず知らずのうちに、数打ちゃ当たる式になり、一枚一枚を大事に撮らなくなっていることも否めません。(いずれも私の場合ですが・・・)
今度、ファインダーを覗くときは、是非、思い出したいと思います。
それにしても、埼玉部会は”ひときわ”ハードルが高そう・・・。
5828さん。
いつもコメント有難うございます。
お返事が遅れてしまい申し訳ありません。
偉そうに私見を述べましたが、正直失敗作が多い自分に言い聞かせている部分も
多分にあります。
涼しくなり時間の調整をして是非埼玉部会集まりの折はよろしくお願いいたします。