残照の中。
遠い昔、京へ庸調を運んだであろう、くぬがのみちへ。
上田の庄から新しき路を通り。
今、はくたかが跳ぶ。
跳ぶ飛ぶ・・・。
2010年11月27日 六日町~魚沼丘陵。
残照の中。
遠い昔、京へ庸調を運んだであろう、くぬがのみちへ。
上田の庄から新しき路を通り。
今、はくたかが跳ぶ。
跳ぶ飛ぶ・・・。
2010年11月27日 六日町~魚沼丘陵。
もうすぐ師走だって・・・。
はやいねぇ。
こんな色も、もう終わり。
まもなく白が全てを被い尽くす。
つるべ落としの陽が傾く頃、急ぎ足で列車は往く。
田圃よ、今年も、ごくろうさま。
2010年11月27日 塩沢~上越国際スキー場前。
たどり着いたのはゴルフ場。
今だったらダメでしょう。て言うかゴルフの事も知らないあの頃、どうして入れたのか・・・。
オールグリーンを何処で撮ろう・・。
事前に光線と地形を考えての結果がここだった、ただそれだけ。
1980年3月 横川~軽井沢。
来た、やっと逢える事が出来た。
一緒に切ったマミヤC220にも。
ED38。さしずめ困民党総理 田代栄助。
じゃあデキたちは・・うーん・・・・加藤織平・井上伝蔵・新井周三郎・大野苗吉・・・・・・・。
彼等以外にも名も無き戦士がたくさん散っていった・・・・。
無骨で真面目。額に汗し耕地(コーチ)を耕す。
今は秩父の土となり。
1980年3月 野上~長瀞。
和同開珎・・大和の地で鋳造されたその貨幣の元となったのは
ここ、秩父は蓑山の麓で採れた銅だったそうな。
この近くに、露天掘りの跡だったのだろうか、蛇でも出そうな鬱蒼とした所が
その地だと、僅かな説明文と碑があった。
訪れる人もなくひっそりと。
春の陽を受けて、古豪デキが往く。
1980年3月 黒谷~大野原。
140号線を波久礼で別ちから金尾峠を越えると其処は秩父。
自由民権の旗の下、自由自治元年、革命の声高らかに、椋神社の境内に集まった農民たち。
自由党員が起こした他の加波山事件などとは明らかに違う、毛細血管のように小さな谷の僅かな
耕地に住まう農民のエネルギーが11月1日一気に爆発した。
われら
秩父困民党
暴徒と呼ばれ
暴動といわれることを
拒否しない。
秩父に来ると風が違うのはそのためか。
春よ春よ。いま吹くぞ春の風。
1980年3月 野上~長瀞。
どこかの帰りだったか。
下から見るとなんか撮れそう?。
で祖母島を過ぎてウロウロ。
で撮ったのがコレ。
結構高く足元が切れていて怖かった。
ちょうど新幹線の高架が出来上がった頃。
1980年3月 祖母島~小野上。
あぁ嫌だ。嫌だ・・・。
過ぎ行く季節。
遠く、おもての世界に、陽は注ぐ。
アクセルを踏む、強く強く・・・。
過ぎ行く景色は、己の心の中に、ブレーキとアクセルを絶え間なく交互に見せつける。
何でだろう・・・。
待っていろよ。表の景色。
待っていてくれ、友たち。
今は、こうして東西南北が分からなくとも。
2010年11月11日 関越自動車道 新潟地内。
宮原駅の様子は今では結構変わってしまった。
正面ドカンの写真では、あの頃の様子は伝えられないだろう。
だからこんな構図が好き。
最近の雑誌を見るとどこで撮っても同じようなものばかり。
正直つまらない。
あぁ懐かしい、道も家々も・・・。
1980年2月 宮原~上尾。
津久田から歩いてきたのだけれども、NHKのアンテナ中継所の看板あたりでウロウロ。
結局下の集落から滑りやすい斜面を登ってきた。
風が強くて、乾いた泥交じりの枯れ葉が、容赦なく下から吹き上げてくる。
棚下の向こうは雪雲か。
1980年2月 津久田~敷島。