豪雪地帯というのに、今年は雪が少ない。
昨日の昼間に関越を通っても、思ったより降っていないし積もってもいなかった。
この写真は、12月のものだが、これよりは雪はあるが、それでも・・・。
何はともあれ、一年の始まり。よろしくお願いします。
2010年12月19日 石打~大沢。
豪雪地帯というのに、今年は雪が少ない。
昨日の昼間に関越を通っても、思ったより降っていないし積もってもいなかった。
この写真は、12月のものだが、これよりは雪はあるが、それでも・・・。
何はともあれ、一年の始まり。よろしくお願いします。
2010年12月19日 石打~大沢。
踏切脇の柿の木。
今年最後かもしれない晴れの朝。
いつものようにはくたかが往く。
渋柿だろうか。
2010年12月19日 石打~大沢。
いつでも逢えた彼等。
今でも彼らの声を聞くことが出来る。
高崎支社のやることは一味違うとでもいえようか。
ただ、復活蒸気機関車にテコ入れしすぎて、何か起こらなければ良いが。
節操の無い輩が最近は目立つので・・・。
電気機関車にもこれからも光を当ててほしいなぁ。
混雑は嫌だけど(勝手だねぇ)。
1980年3月 横川駅。
こんなところで・・・。
いろんな意味でおおらかだった時代。
非常制動も警笛も無く、こちらも手を上げて挨拶すれば機関士も白い手袋で挨拶を返してくれた。
良いか悪いかは首をかしげる部分はあるが、そんな時代だった。
マナーの問題を語る資格も無いが・・・。
ただ言えるとすれば、撮らせて頂くことが出来た時代だったのかも。
土砂崩れで犠牲になった殉難碑の白い母子像のことを知ったのもこのときだった。
1980年3月 熊ノ平。
川原湯を出てすぐに吾妻川を渡る、線路は左に急カーブしてゆく。
その吾妻川の鉄橋を渡る157系白根の写真が鉄道ファンの表紙だったのはもう少し前だった気がする。
長閑な山里の風景だ。
とはいっても、今この場所へ着たらその変貌振りにびっくりする。
川原湯温泉がダムに沈むと聞いたのはもうかなり前のことだ。
27年前、いずれなくなる温泉へ行こうと友人と泊まりに来た宿も、結果その後も営業を続け
僅か数年前に閉館となった。
当時、宿の人の話では、無くなる宿に設備投資はあまり出来ない、状況は非常に複雑だと心境を
語っておられた。
ダムの必要性と公共事業のあり方。
其処へ住まう人々は何時だって蚊帳の外。
そういえば、奥只見に発電用の36万キロワットのダムが出来たのは昭和36年、
銀山平に電気が通じたのが昭和45年。
1980年3月 川原湯~長野原。
天気予報は午後からまた雪。
名残の陽が鈍く射す。
芭蕉も歩いたであろう、くぬがのみち。
今ではタイフォン一声、トンネルを抜けて列車は走る。
2010年12月16日 笠島~米山。
もうすぐ冬至、午後の陽が射す。
台風一過のダンプ道路の跨線橋にバイクを止めて、風の後の青稲を眺めたのは何時のことだったか。
あの時も青空が綺麗だった。
北越のみどりが通り過ぎる。
2010年12月16日 見附~帯織。
高原キャベツの出荷のために造られたヤードだと当時聞いた気がする。
山間の駅にしては立派な側線もあり、EF12はそんな所で働いていた。
しかし、時代はすぐにトラック輸送に取って代わり、こんな景色も長くは続かなかった。
春まだ浅き吾妻路。
1980年3月 羽根尾駅。
もやの立ち込める頃。
朝一番の汽笛。
そして列車は通り過ぎていく。
まだ、けだるい時間。
ざわめく心とは裏腹に。
2010年12月7日 上越国際スキー場前~塩沢。
陽が傾くのが早いこの頃・・・。
毎年同じ日入りなのにどうしてかそんな風に感じてしまう。
はくたかを見送れば、まもなく夕暮れ。
たぶん漆黒の闇が夕陽の向こうでニヤリとしている。
静かに寝床へ就こう。
そんな夜は。
明日から寒くなるよ。
明日あたりは山の上は雪かな・・・。
2010年12月6日 塩沢~上越国際スキー場前。