石打駅。

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初めて石打のバルブ撮影をしたのは中学2年の夏休み。
その後幾度と無く訪れた思い出深い駅。

ダイヤ改正や合理化、機関車の性能向上で、あの頃のような写真は取れなくなってしまったが
それでも何か事あるごとに駅に寄ってしまう。

この写真は高校2年の時、文化祭の代休で来たときのものだ。
1979年9月24日と記録がある。

列車進入を知らせる独特の警報音が今でも耳に残っている。

粥仁田峠。

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本営が瓦解した中、丙大隊長、落合寅市が
「進め進め」の掛け声の中、小川口へと越えていったところ
粥仁田峠。

夕方、釜伏峠から遠く両神山へ沈む夕日を見た。
このとうげの麓は、大野苗吉の出身地でもある。

粥仁田峠近くでテントを張り夜を明かした。
満天の星。
大宮郷と呼ばれた秩父の街の灯りが瞬いている。

困民党への想いが
駆け上がってきた冷気と混ざり合った。

秩父のオクリ。

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耕地には、いつもと変わることなく冬の日差し。

甲州街道を外れ雁坂の峠を越し、さまざまな文化や生活物資が、ここ栃本をすぎ秩父の町へと入っていった。
数年前、国道140号線が雁坂嶺の真下をぶち抜き今に至る。
しかし、昔とは違い、さほど文化や生活の行き来があるようには思えない。

高校生の頃、行き止まりの国道に漠然と疑問を持った。

やっぱり秩父の”オクリ”だね。
耕地の下から移動販売の車が来たことを知らせている。

東京と新潟。

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先日、熊谷から東京へ。
熊谷では一面の霜、もちろん東京は晴れていた。

スキーが盛んな頃、上野へと向かう満員の鈍行列車の中、
お互いの感情が決して穏やかではない車内でのこと。

分水嶺のトンネルを越え、暗澹たる景色から青空の下へ
さらされた瞬間、さっきまでの一体感のない車内に
陽の光が射し込み歓声が上がった。

人の気持ちは案外そんなものかなと思った。
しかめっ面していた自分が恥ずかしくなった。
16歳の頃。

今更ながら東京の空もまんざら捨てたもんじゃない。
なんて思った。

初雪。

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巻機山の麓。

昨日からの雨が、雪へと変わっていく。

今年初めての雪を手のひらに載せて見る。
水へと変化する一瞬。手の体温を奪って冬へ誘うかのように、
その隙間から零れ落ちた。

遠くで、雪おこしの雷が鳴った。

日中線。

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喜多方から熱塩までの客車の中、車内検札で補充券に鋏を入れてくれたのは若い車掌さんだった。

熱塩駅は、記念館となり残っていた。

傍らに客車が保存されていた。
ペンキを塗りなおしたばかりなのか、揮発性の塗料の匂いが
まだ残っているようだった。

夏草が生い茂る夏の日の夕暮れ。
蒸気機関車のブームが去った駅には、
虫の声と、時々そばを通る車の音だけがしていた。

茶色い客車から窓を開けた、昼間の草いきれと夏の夕方の匂いが混ざり合っていた。