春の踏切。

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踏切が鳴る。

 

列車が通り過ぎる。

そんな普通の昼下がり。

 

小路は集落を行き来する軽トラがほんの少し前クラクションひとつ。

 

列車は短いタイフォンひとつ。

 

 

春風の中。

 

 

 

2014年4月23日                     八高線   明覚~小川町。

 

春を迎えた築堤を往く。

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此処は気持ちいいよ。

 

東上線の荒川鉄橋を渡る音、秩父線のデキのホイッスル。

そしてキハは荒川鉄橋を渡る音がして暫くするとこの築堤に差し掛かる。

 

かつてはキューロクやデゴイチがあえぎ登ったであろう勾配だ。

とはいっても彼らの姿を僕は知らない。

初めて八高線の高麗川駅に写真を撮りに行ったのは蒸気機関車全廃後の1974年と記憶している。

兄貴にくっ付いてキハ17やらDD51を撮り、帰路に着いたのを覚えている。

 

その後のキハ20やキハ40そしてタンカー列車のDD51重連貨物も懐かしい思い出だ。

 

 

春の築堤を眺め、腰を下ろし煙草をくゆらす・・・。

 

 

 

2014年4月19日               八高線   折原~寄居。

 

萌黄の中で。

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ところどころに春の贈り物。そう、山菜が目に付く。

 

タラの芽はそおっとしておこう。

幹も細くかわいそう。

変わりに野カンゾウを少々頂く。

 

萌黄色の季節は一瞬だ。

まもなく新緑そして緑の季節。

 

 

2014年4月19日                 八高線   竹沢~折原。

山間の駅。

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谷川岳。

昭和6年の上越線開通とともに此処土合駅から沢山の岳人がその頂を目指した。

その後、戦後空前の登山ブームを迎え、3人寄れば山岳会などと揶揄された若者たちを中心に沢山の遭難事故を起こすことになる。

主に東面岸壁である一の倉沢、マチガ沢、幽の沢などは遭難の巣とされ、その後、魔の山、人喰い山などとありがたくない名前まで

頂戴することとなる。

一の倉沢など岸壁基部に向う岩肌には沢山の遭難レリーフが埋め込まれている。

墓場の山とはまさにこのことだ。

 

登頂成功の歓喜に足取りも軽く山を下るもの、あるいは遭難の知らせに駆け下ったであろう道のすがらに遭難の碑が佇む。

700名を有に越える一人ひとりの名前が碑板に刻み込まれている。

 

そんな遭難碑のすぐ裏から駅を見下ろす。

少し前、前後して単独行の男性が二人、この列車に乗るために下っていった。

雪焼けした良い顔をしていた。

 

 

2014年4月15日                上越線   土合~土樽。

雪解けの魚野川。

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鉄復活前、一時期釣りに凝っていた。

 

魚野川水系は足しげく通った。

六日町や石打の地元の釣り仲間も出来楽しい時間だった。

 

ここは対岸の関越脇の小路を行きそこから入渓。

弁天淵手前までの楽しい釣り場だった。

鉄をしていても渓相を眼で追いあそこに立ってあのラインを流そうなんて考えていると楽しい。

 

そして、やっぱり電車かっこいい・・・。

 

 

 

2014年4月15日               上越線   石打~越後湯沢。

岩原 春の陽。

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右の築堤は踏切跡のもの。

小さな踏切を渡り線路脇でよく写真を撮った。

 

岩原ゴンドラへ向う道も整備されて2車線になって久しい。

その昔、大源太川を渡る木の橋があった。橋の上には泥が被せてあったのを覚えている。

 

彼女とバドミントンをして遊んだのは車のあまり来ない道路脇だったのも懐かしい。

 

家族とスキーやワラビ取りに来たことも岩原の思い出。

母親が眼下の大カーブを行く列車を見つけみんなで眺めた。

  

 

 

車のドアを開けっ放しにして、今日の春の陽に少しだけまどろむ。

 

 

2014年4月15日           上越線   岩原スキー場前~越後中里。

魚沼へ。

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前日の夜此処へ着いて野宿。

月が綺麗で良い夜でした。

 

さほど冷え込むことも無く朝を迎える。

すがすがしい。その一言に尽きる。

 

桜もあと一週間というところかな・・・。

大好き魚沼。

 

 

2014年4月15日         上越線   石打~大沢。