初めて石打のバルブ撮影をしたのは中学2年の夏休み。
その後幾度と無く訪れた思い出深い駅。
ダイヤ改正や合理化、機関車の性能向上で、あの頃のような写真は取れなくなってしまったが
それでも何か事あるごとに駅に寄ってしまう。
この写真は高校2年の時、文化祭の代休で来たときのものだ。
1979年9月24日と記録がある。
列車進入を知らせる独特の警報音が今でも耳に残っている。
初めて石打のバルブ撮影をしたのは中学2年の夏休み。
その後幾度と無く訪れた思い出深い駅。
ダイヤ改正や合理化、機関車の性能向上で、あの頃のような写真は取れなくなってしまったが
それでも何か事あるごとに駅に寄ってしまう。
この写真は高校2年の時、文化祭の代休で来たときのものだ。
1979年9月24日と記録がある。
列車進入を知らせる独特の警報音が今でも耳に残っている。
本営が瓦解した中、丙大隊長、落合寅市が
「進め進め」の掛け声の中、小川口へと越えていったところ
粥仁田峠。
夕方、釜伏峠から遠く両神山へ沈む夕日を見た。
このとうげの麓は、大野苗吉の出身地でもある。
粥仁田峠近くでテントを張り夜を明かした。
満天の星。
大宮郷と呼ばれた秩父の街の灯りが瞬いている。
困民党への想いが
駆け上がってきた冷気と混ざり合った。
正月だと言うのに雨だ。
暫らくすれば雪に変わるのだろうけれども
今晩は雨のようだ。
綿帽子をかぶる駅名表は無く、
雨の中を、今日最後の列車が出て行った。
土樽駅にて。