初夏の岩原。

820605-1_2.jpg

当時は湯沢新日本スキー場と言っていたこのスキー場。

 

この後のバブル景気で一帯はさらにリゾートマンションやスキー場の乱開発が始まる。

新幹線開業と高速道路開通と相まって空前の不動産景気に踊らされた。

 

しかしその後の西武資本のスキー場撤退は毎年のようにスキー場の名前が変わるきっかけとなり、

加山キャプテンコーストのように割と短い期間の営業をもって閉鎖されるところも、また経営が変わった

岩原ゴンドラも動かなくなって久しい。

そして旅館民宿ペンションの廃業も日常的に今も続く。

 

新幹線と高速道路は結局東京一極中枢に拍車をかけただけのようで、地元に本当の意味での利益誘導は

なされなかったのではないか。ごく一部の金持ちを短期的に生み、箱物に満足しただけで、その後の

未来像が語られることなく今に至るような気がする。

気が付くとバブルがはじけて(もともとバブルなんだから実体なんかない)、さらにデフレスパイラルに

陥り景気収束。

 

 

 

 

金持ちだけがリゾートを楽しむ、本当の遊びを知らない高齢者の顔色を窺い商売する・・・。

まさに腐れ縁。

もうこうなったらそうするしかないのかも。

何がカシオペアクルーズだ。はぁ、ななつぼしってなんだ。

昔みたいに1等から3等までの汽車のほうがよっぽどいい。

何よりも学生や若者に旅をさせよ。

貧乏旅行の見聞をさせよ。

誰でも乗れる列車、各駅鈍行を復活させよ。

周遊券等の見直しをせよ。

年寄ばっかに目を向けた今のJRに未来なんかあるものか。

 

 

ひととものが運ばれるだけの旅客営業・・・。しかも爺と婆しか乗ってない・・・。

 

昔こんなキャッチコピーがあったっけ。

 

せまい日本そんなに急いでどこへ行く。

ディスカバージャパン。

 

 

岩原スキー場のその後の姿をこの頃は知らない・・・。

 

 

 

1982年6月         上越線   越後中里~岩原スキー場前。

 

 

 

ちょうど34年まえのGW-8。

820504-3_2.jpg

帰る日になると晴れるんだよね。

そんなもんかぁ・・・。

 

今回の遠征ではブローニ18本。枚数にして200枚ちょっと。

 

 

最近思うんだよねぇ。

デジタルになって安易になっているなぁと。

一枚一枚を大切に撮らなきゃって。

モニターは構図確認には有効だけどそれ以上頼るのはどうかって。

仕事で使うのにはいろいろメリットもあるけど

ここぞって一枚は気合入れて撮んなきゃってね。

 

 

山吹色の山吹駅・・・。

また行ってみたいな・・・。

 

 

飯田線春はとりあえず以上でした。

 

 

 

1982年5月      飯田線   山吹駅。

 

ちょうど34年まえのGW-7。

820502-3_2.jpg

雨の駒ヶ根駅。

 

駅構内のこんなところで撮影していても、一言断れば何も問題はなかった。

 

中二日ぐらいは天気が悪くどうしていたのだろう。

写真を見るとそれでもウロウロしていたことはわかる。

 

今回も全編野宿で宿に泊まったことも外食も一度もない。

コンビニも無く地元スーパーで買い出しした物を食べていたと記憶している。

ただこの頃はバリエーションも少なくレトルトご飯やラーメン、缶詰なんかが主流だった。

雨の日は困るんだよねぇ、飯食う場所も泊まる場所も考えなければならないし・・・。

とは言っても大体無人駅の中か橋の下って感じだったけど。

それはそれで楽しいわけよ。

 

 

 

しかしまぁ長く野宿生活しているとその場所が危険かどうかなんて分かってくるわけよ。

今までトラブルなんて一度もないなぁ。

ただ過信は禁物で絶えず色々気を付けているけどね・・・。自分なりのチェック項目が満たされなければ

場所決めないもの。

逆に警官が来て職質されたことは結構あるけど・・・。

 

 

1982年5月       飯田線   駒ケ根駅。

ちょうど34年前のGW-4。

820501-2_2.jpg

やってきました。

 

前年の11月に目星をつけて新緑の時期にと思いちょうどよい時期に撮ることが出来ました。

 

此処へ至る道々のなんと細かったこと。

今行けと言われたらちょっと二の足を踏んでしまうかも。

ほんとガードレールもないとんでもない道でした。

しかも道からさらに少し歩かないと此処へはたどり着けなかったと記憶しています。

 

それでも一部の鉄の間では有名だったのか、この後数年の間に鉄を見かけるようにはなりましたが・・・。

 

 

1982年5月1日          飯田線   千代~金野。

ちょうど34年前のGW-3。

820501-5_2.jpg

此処はどこから撮ったのか。

 

撮ったことは覚えているが今此処へ行こうとしてもまず無理。

 

手前の土蔵のある家の向こうに天竜川がある。

撮影データの駅間があるからグーグルマップで調べてみようか。

 

過去にもそうして昔の風景を調べたことがあるがあまりの変貌ぶりにガックリしたことがある。

でも見てみたい・・・。

 

 

1982年4月30日        飯田線   時又~川路。

ちょうど34年前のゴールデンウィーク-1。

820430-1_2.jpg

記録を見ると4月29日から5月5日までの撮影行でした。

天候は曇りがち日差しもあったようですが全体的に少し寒かったようです。

 

まずは中央アルプスが望めるお気に入りの場所。

雲がかかりもう一つといった感じでした。

 

同行者は前年の8月初めて行った飯田線にも一緒に行った鉄ではない友人。

そして前年身延線で知り合った鉄の人と一部合流したようでした。

 

普段仲の良い鉄ではない友人ですが一緒に1週間も過ごすと色々な心の葛藤があるものと気づき始めて

それは人間関係で必要な事なんだと学んだ撮影でした。

そんな彼もアメリカに行ってもう20年以上の月日が流れます。

昨年暫くぶりに日本に帰ってきて会いましたが撮影のことはもちろん覚えていてくれました。

 

上越線の岩原カーブや石打バルブ、飯田線には数度の遠征・・・。

 

また帰ってきたら会いたいものです。

 

 

1982年4月30日       飯田線   伊那田島~上片桐。

 

 

EF15が牽く14系。

820411-5_2.jpg

前掲の「とき」や115系の反対側。

どうやら終日このあたりにウロウロしていたようだ。

 

いわばこれがこの日の本命。

 

 

何十年もここいら辺へは行ってない。

今はどんな景色なんだろう。

 

 

遠くに武尊を望めるいいところだったなぁ。

 

 

1982年4月       上越線   八木原~渋川。