当時は湯沢新日本スキー場と言っていたこのスキー場。
この後のバブル景気で一帯はさらにリゾートマンションやスキー場の乱開発が始まる。
新幹線開業と高速道路開通と相まって空前の不動産景気に踊らされた。
しかしその後の西武資本のスキー場撤退は毎年のようにスキー場の名前が変わるきっかけとなり、
加山キャプテンコーストのように割と短い期間の営業をもって閉鎖されるところも、また経営が変わった
岩原ゴンドラも動かなくなって久しい。
そして旅館民宿ペンションの廃業も日常的に今も続く。
新幹線と高速道路は結局東京一極中枢に拍車をかけただけのようで、地元に本当の意味での利益誘導は
なされなかったのではないか。ごく一部の金持ちを短期的に生み、箱物に満足しただけで、その後の
未来像が語られることなく今に至るような気がする。
気が付くとバブルがはじけて(もともとバブルなんだから実体なんかない)、さらにデフレスパイラルに
陥り景気収束。
金持ちだけがリゾートを楽しむ、本当の遊びを知らない高齢者の顔色を窺い商売する・・・。
まさに腐れ縁。
もうこうなったらそうするしかないのかも。
何がカシオペアクルーズだ。はぁ、ななつぼしってなんだ。
昔みたいに1等から3等までの汽車のほうがよっぽどいい。
何よりも学生や若者に旅をさせよ。
貧乏旅行の見聞をさせよ。
誰でも乗れる列車、各駅鈍行を復活させよ。
周遊券等の見直しをせよ。
年寄ばっかに目を向けた今のJRに未来なんかあるものか。
ひととものが運ばれるだけの旅客営業・・・。しかも爺と婆しか乗ってない・・・。
昔こんなキャッチコピーがあったっけ。
せまい日本そんなに急いでどこへ行く。
ディスカバージャパン。
岩原スキー場のその後の姿をこの頃は知らない・・・。
1982年6月 上越線 越後中里~岩原スキー場前。