綾瀬川橋梁を渡るゴナナ。
稲穂も伸びてきた夏の盛り。
バックの森も勢いが増す。
夏休みは毎日宮浜。
欠席したのは4日だけ。夏休み42日のうち38日は宮浜通い。
1976年8月 東大宮~蓮田。
綾瀬川橋梁を渡るゴナナ。
稲穂も伸びてきた夏の盛り。
バックの森も勢いが増す。
夏休みは毎日宮浜。
欠席したのは4日だけ。夏休み42日のうち38日は宮浜通い。
1976年8月 東大宮~蓮田。
AMポイントを振り返るとそこには小さな湿地帯。夏になると草ぼうぼう。
今ではバイパスと宅地になっている。
小さな水路も草や木や森もみんな無くなってしまって・・・。
もちろんゴナナも。
景色の移り変わりは止むおえない。
それが木々や植物の成長ならば致しかたないが、人工物によるのではちょっと寂しい。
1976年8月 東大宮~蓮田。
14系多客臨回送。
中線に入る13番。
デッキのステーがうまく抜けている。
もちろん狙ったわけではなく、偶然上手に写っていた。
しかし編成が長いなぁ。様になる。
さすが、元特急牽引機。
1976年8月 大宮駅。
通称カメラマン広場。
いわゆるお立ち台的な場所。
長玉で撮ったのは足回りの関係か。
こっちは草刈出来なかったもんなぁ。
夏季多客臨の客車送り込みの回送だったかな。
1976年7月 東大宮~蓮田。
雨の日の大宮駅。
ゴナナを撮っていて振り返ると101系。
103系の時代になる中、かろうじて撮影していた。
このとき一緒に撮影していたのは、当時鉄道雑誌社に勤めいて、ゴナナ狂会の一人でもあった人。
「あっ101だ」
その声で振り返り撮影したのを覚えている。
グローブ型ベンチレター。
窓が開けられているのが今となっては懐かしい。
1976年7月 大宮駅。
ゴナナの1番。
宮浜の夏の日。
まだまだ7月・・・。
夏休みはつづく。
7月の終わりごろの心境はと言えば・・・
一番しあわせな頃。だってまだまだ夏休み。
1976年7月 東大宮~蓮田。
またもや大宮駅。
お馴染みの・・・。
駅のたたずまいが何度見ても良い。
さしずめ、8番9番が旅立ちだとすると。4番6番は帰郷。
1976年7月 大宮駅。
臨時かな。
午前中のひとコマ。
崖の上に昇り3番。
ポールの新しさが今になっては目に付く。
宮浜の雑木林は蚊に刺されて・・・。
1976年7月 東大宮~蓮田。
足回りすっきり。
草刈した人も、しなかった人も一緒にゴナナを撮っていた。
夏の日の午後。
考えてみると、密な情報があってのこの頃。
まだ写真を撮っているのだろうか。情報源だった彼は・・・。連絡をとらなくなって久しい。
1976年7月 東大宮~蓮田。
言わずと知れた157系御料編成。
運転日や列車通過時刻は仲間内からの情報で分かっていた。
警備に来ていた警官曰く、中学生がなんでそんなことを知っているのか不思議がっていた。
夏の日のひとコマ。
1976年7月 東大宮~蓮田。