此処はどこから撮ったのか。
撮ったことは覚えているが今此処へ行こうとしてもまず無理。
手前の土蔵のある家の向こうに天竜川がある。
撮影データの駅間があるからグーグルマップで調べてみようか。
過去にもそうして昔の風景を調べたことがあるがあまりの変貌ぶりにガックリしたことがある。
でも見てみたい・・・。
1982年4月30日 飯田線 時又~川路。
記録を見ると4月29日から5月5日までの撮影行でした。
天候は曇りがち日差しもあったようですが全体的に少し寒かったようです。
まずは中央アルプスが望めるお気に入りの場所。
雲がかかりもう一つといった感じでした。
同行者は前年の8月初めて行った飯田線にも一緒に行った鉄ではない友人。
そして前年身延線で知り合った鉄の人と一部合流したようでした。
普段仲の良い鉄ではない友人ですが一緒に1週間も過ごすと色々な心の葛藤があるものと気づき始めて
それは人間関係で必要な事なんだと学んだ撮影でした。
そんな彼もアメリカに行ってもう20年以上の月日が流れます。
昨年暫くぶりに日本に帰ってきて会いましたが撮影のことはもちろん覚えていてくれました。
上越線の岩原カーブや石打バルブ、飯田線には数度の遠征・・・。
また帰ってきたら会いたいものです。
1982年4月30日 飯田線 伊那田島~上片桐。
小正月の風習であるどんど焼き。お焚き上げ行事。
子供らが主役の行事であることは写真を見てもよくわかる。
アノラック・・ヤッケって分かりますか?。
素朴だよなぁ。
もっとも自分も写真を撮りに行くときは同じような格好していたもんなぁ。
ほっぺを赤くした子供たちは今か今かと待っている。
盛大な炎が彼らの顔をさらに赤く染める。
良き思い出として今でも記憶の片隅に残っているのだろうか。
1982年1月 上越線 渋川~敷島。