和同開珎・・大和の地で鋳造されたその貨幣の元となったのは
ここ、秩父は蓑山の麓で採れた銅だったそうな。
この近くに、露天掘りの跡だったのだろうか、蛇でも出そうな鬱蒼とした所が
その地だと、僅かな説明文と碑があった。
訪れる人もなくひっそりと。
春の陽を受けて、古豪デキが往く。
1980年3月 黒谷~大野原。
和同開珎・・大和の地で鋳造されたその貨幣の元となったのは
ここ、秩父は蓑山の麓で採れた銅だったそうな。
この近くに、露天掘りの跡だったのだろうか、蛇でも出そうな鬱蒼とした所が
その地だと、僅かな説明文と碑があった。
訪れる人もなくひっそりと。
春の陽を受けて、古豪デキが往く。
1980年3月 黒谷~大野原。
140号線を波久礼で別ちから金尾峠を越えると其処は秩父。
自由民権の旗の下、自由自治元年、革命の声高らかに、椋神社の境内に集まった農民たち。
自由党員が起こした他の加波山事件などとは明らかに違う、毛細血管のように小さな谷の僅かな
耕地に住まう農民のエネルギーが11月1日一気に爆発した。
われら
秩父困民党
暴徒と呼ばれ
暴動といわれることを
拒否しない。
秩父に来ると風が違うのはそのためか。
春よ春よ。いま吹くぞ春の風。
1980年3月 野上~長瀞。
どこかの帰りだったか。
下から見るとなんか撮れそう?。
で祖母島を過ぎてウロウロ。
で撮ったのがコレ。
結構高く足元が切れていて怖かった。
ちょうど新幹線の高架が出来上がった頃。
1980年3月 祖母島~小野上。
宮原駅の様子は今では結構変わってしまった。
正面ドカンの写真では、あの頃の様子は伝えられないだろう。
だからこんな構図が好き。
最近の雑誌を見るとどこで撮っても同じようなものばかり。
正直つまらない。
あぁ懐かしい、道も家々も・・・。
1980年2月 宮原~上尾。
津久田から歩いてきたのだけれども、NHKのアンテナ中継所の看板あたりでウロウロ。
結局下の集落から滑りやすい斜面を登ってきた。
風が強くて、乾いた泥交じりの枯れ葉が、容赦なく下から吹き上げてくる。
棚下の向こうは雪雲か。
1980年2月 津久田~敷島。
崖を覗くと高い。
川風が落ち葉を舞い上げる。
右のほうからカタカタカタ。
もうすぐ鉄橋の上をゴウゴウゴウ。
北関東のカマが似たような空っ風吹くクラへ帰ってゆく。
雪をおみやげに。
1980年2月 津久田~岩本。
棚下へ向かう道がゲートのに差し掛かるあたりから線路を覗く。
木々のあいだから線路が見える。
今では木が大きくなり葉も茂り何にも見えないか。
ときが通り過ぎた。
1980年2月 津久田~岩本。
9連からすると新雪か何か・・・。
この時期の上州路は流れ雲が多く、この写真も列車には陽が当たっているが、
後ろの山は雲にかかってしまった。
手前の集落の家の屋根を見ると、前項の115の時間に比べ、雪が少なくなっているのが判る。
そんなことはこの写真を撮っているときは気が付きもしなかった。
棚下に雪が降るのは、前日の冬型が強かった証。
これでは水上あたりは雪かもしれない。
1980年2月 津久田~岩本。
やっぱりこのぐらい編成が長いと絵になる。
2両や3両はそれはそれでローカルムードといえば絵になるのだが、
編成が長いと重量感が違ってくる。
手前は、まだ日が射さず寒い。
利根川の川風が崖を伝って吹いてくる。
確かこの構図は、コンクリ吹き付け前の工事中の法面に登って撮ったのでは記憶している。
1980年2月 津久田~岩本。
宮原から一番電車に乗り継いで津久田。
70系から置き換えとなった115系も寒冷地仕様の1000番台が幅を利かせる様になった頃。
前日に新前橋でマルヨした下りの821Mもまだ雪を付けていた。
上りの電車も国境を越えてきたのだろう足回りに雪を付けてちょうど交換。
昨日今日と冬型が強かったのだろう。
上州名物からっかぜに吹かれ今日の撮影が始まろうとしている。
そんな朝。
1980年2月 津久田駅。