八ツ場ダムに沈むのか。

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川原湯を出てすぐに吾妻川を渡る、線路は左に急カーブしてゆく。

その吾妻川の鉄橋を渡る157系白根の写真が鉄道ファンの表紙だったのはもう少し前だった気がする。

 

長閑な山里の風景だ。

とはいっても、今この場所へ着たらその変貌振りにびっくりする。

 

川原湯温泉がダムに沈むと聞いたのはもうかなり前のことだ。

27年前、いずれなくなる温泉へ行こうと友人と泊まりに来た宿も、結果その後も営業を続け

僅か数年前に閉館となった。

当時、宿の人の話では、無くなる宿に設備投資はあまり出来ない、状況は非常に複雑だと心境を

語っておられた。

 

ダムの必要性と公共事業のあり方。

其処へ住まう人々は何時だって蚊帳の外。

 

そういえば、奥只見に発電用の36万キロワットのダムが出来たのは昭和36年、

銀山平に電気が通じたのが昭和45年。

 

 

1980年3月                    川原湯~長野原。

 

雪晴れのふるさと・ダンプ道路脇。

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もうすぐ冬至、午後の陽が射す。

 

台風一過のダンプ道路の跨線橋にバイクを止めて、風の後の青稲を眺めたのは何時のことだったか。

 

 

あの時も青空が綺麗だった。

 

 

北越のみどりが通り過ぎる。

 

 

2010年12月16日                 見附~帯織。

 

吾妻路。

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高原キャベツの出荷のために造られたヤードだと当時聞いた気がする。

山間の駅にしては立派な側線もあり、EF12はそんな所で働いていた。

 

しかし、時代はすぐにトラック輸送に取って代わり、こんな景色も長くは続かなかった。

 

 

春まだ浅き吾妻路。

 

 

1980年3月                     羽根尾駅。

 

社のむこうがわ。

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陽が傾くのが早いこの頃・・・。

毎年同じ日入りなのにどうしてかそんな風に感じてしまう。

 

はくたかを見送れば、まもなく夕暮れ。

 

 

たぶん漆黒の闇が夕陽の向こうでニヤリとしている。

静かに寝床へ就こう。

そんな夜は。

 

明日から寒くなるよ。

明日あたりは山の上は雪かな・・・。

 

 

2010年12月6日                  塩沢~上越国際スキー場前。

 

今日の陽。

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もうすぐ師走だって・・・。

はやいねぇ。

 

こんな色も、もう終わり。

まもなく白が全てを被い尽くす。

 

つるべ落としの陽が傾く頃、急ぎ足で列車は往く。

 

 

田圃よ、今年も、ごくろうさま。

 

 

2010年11月27日                 塩沢~上越国際スキー場前。

 

碓氷峠を降りてきた。

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たどり着いたのはゴルフ場。

今だったらダメでしょう。て言うかゴルフの事も知らないあの頃、どうして入れたのか・・・。

 

 

オールグリーンを何処で撮ろう・・。

事前に光線と地形を考えての結果がここだった、ただそれだけ。

 

 

1980年3月                        横川~軽井沢。

 

もうひとりの古豪往く。

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来た、やっと逢える事が出来た。

一緒に切ったマミヤC220にも。

 

 

ED38。さしずめ困民党総理 田代栄助。

じゃあデキたちは・・うーん・・・・加藤織平・井上伝蔵・新井周三郎・大野苗吉・・・・・・・。

 

 

彼等以外にも名も無き戦士がたくさん散っていった・・・・。

無骨で真面目。額に汗し耕地(コーチ)を耕す。

 

今は秩父の土となり。

 

 

1980年3月                   野上~長瀞。