もう少しだけ石打の夜に・・・。

沢山の列車たちをこの夜も見送った。

来る列車は終着駅ではない限り当たり前だがずうっと其処にはいないわけで、もちろん終着駅と言えども次の列車が来る前に折り返したり車両基地に行ったりするわけだが・・。

石打は上州と越後の脊梁を結ぶ片方の基地であるからその峠道を往ったり来たりしている機関車たちが列車の先頭に立つ。もちろん彼らは本当の意味での終着駅を知ることは無い。

言い方を変えると土着の機関車たち・・・。

勾配用に作られた彼らだから当たり前と言えば当たり前だが、彼らの仕事場はいつも峠道だった。

ある時その機関車に乗せてもらった、石打から水上そして石打へと。つまり一往復峠道の先頭に立ったのだ。機関助手よろしく砂撒きやホイッスルを鳴らしたことは忘れない。縦揺れ横揺れガタゴトガタゴト、カモシカ君やウサギさんにごあいさつ。機関士は同僚たる機関車に語り掛けノッチを握り、トンネル抜けて鉄橋をゴウゴウ渡りホイッスルでもう一台の機関と合図を交わす峠道。

そう土着の機関車を相棒にして昼も夜もガタゴトガタゴト、ゴウゴウ、ガタゴト・・・。

そして今日の夜にこだまするホイッスル・・・。まぶたの裏側の景色に・・・。

1979年3月   上越線。

岩原で181。

あの頃の岩原や中里へ行くスキー客はほとんどが電車での移動だったと思う。関越も新幹線も無い時代特急急行はもちろんのこと各駅停車だってラッシュの満員電車並みの混雑でスキー客を山の向こうに運んでいた。電車内では銀箱と三脚が変に場所を取り難儀したことが想い出される。そして駅からはひたすら徒歩。アノラックにオーバーズボンそしてスパッツに防寒靴のいでたち。スキー客のカラフルな格好からすれば随分と地味な服装だった。

1979年1月   上越線。

大切な僕の好きな風景に寄せて。

どうしようもない時に想い出すのは・・・20数年ぶりに2009年鉄道写真復活の時の風景。4月に上越線は岩原の大カーブに向かったのだが、ふとその時に昔を思い出して此処まで上がってきたのだった。

変わらない岩原、素敵なオメガカーブは健在だった。

新潟に住んでいる頃の2度の大きな地震、又その後の水害を目の当たりにして、そして関東に戻ってきてすぐの原発が吹き飛んだ更なる大きな地震。そして現在・・・。

今日話をした友人が言っていた「明日の来ない日は無いよ」そりゃそうだよな。

明日を信じて次行ってみよう!。

てなわけで時間もあることなので2009年からの鉄道写真をもう一度ひっくり返しています。見ていただけそうなものを折に触れアップしようと思います。改めて駄作珍作お付き合いのほどよろしくお願いします。

2009年6月   上越線。

山懐に春が来た。

長閑な時間が流れてゆくよ・・・。

ゆっくり過ぎる時間はことさら素敵だ。道端に腰を下ろして列車を待つと地面の温もりすら季節を感じる。誰もいない独りの時間がめくるめく。

おばあさんも野良仕事の合間に腰を伸ばして列車を見送っていた・・・。

2020年4月17日   只見線。