夏の夜。
虫の声を聞きながらの石打。
半袖では少し寒い夜。
宇都宮のロクゴが貨物を牽いてきた。
機回しをしてやってきたのは12番。
連結を終え、峠へ向かうほんの少し前。
コンプレッサーの鼓動が出発のブザーと混ざり合う。
ロクゴが少し高い合図を16に送り返す。
さぁまもなく出発進行。
1979年7月 石打駅。
夏の夜。
虫の声を聞きながらの石打。
半袖では少し寒い夜。
宇都宮のロクゴが貨物を牽いてきた。
機回しをしてやってきたのは12番。
連結を終え、峠へ向かうほんの少し前。
コンプレッサーの鼓動が出発のブザーと混ざり合う。
ロクゴが少し高い合図を16に送り返す。
さぁまもなく出発進行。
1979年7月 石打駅。
夏休み2回目の石打。
ネガの順番からして、上の写真を撮って、それから下の写真。
どう見てもデッキの上から撮っている。
記憶が曖昧だ。
いずれにせよ、よい時代だったことは確かだ。
他に撮影者がいたらこんな構図ありえないし。
1979年8月 石打駅。
心の中を覗くと。冬の景色が留まろうとしている。
もう、4月だよ。
内なる〝ケ〟を払拭するのは自分だ。
そう大丈夫。
やがて春の陽に包まれる。
2007年1月3日 石打地内。
——–娘さんよく聞けよ山男にゃ惚れるなよ。——–
ニッカボッカとチョッキにカッターシャツ。
重登山靴に二重の靴下。
キスリングを背負って。
谷川に向かう山男の正装。
そう、此処にも・・・。
愚直な昭和の山男は今宵も挑む。
1979年7月 石打駅。
毎夜、人々の手によって機関車が連結される。
カンテラの合図と汽笛を繰り返して。
国鉄マンが生きていた。
1979年7月 石打駅。
くじらなみ。
峠を降りると水平線。
海水浴場の右手には洞窟にも似た景色。
浜茶屋の茣蓙の匂い。
焼きそばと烏賊焼きの匂い。
簡易シャワー室の水着と体臭の臭い。
くじらなみは鯨波に。
1979年7月 石打駅。
こんなところで・・・。
今だったら・・・。
1979年7月 水上~湯檜曽。
重連が行く。
あの景色の中。
EF16かっこいいぞ。
1979年7月 越後湯沢~岩原スキー場前。
モノクロアーカイブ、2ヶ月ほど前に戻ります。
見直しをしていたら、やっぱりと思って。
ここ宮原駅界隈の写真をよく撮っている方がいます。
ホームページ名、「58&SL写真館」の御方。
宮浜にもよく通っておられているようで、80年代のゴハチの写真も沢山撮られています。
僕より年上の方のようで、現役のSLの写真も沢山紹介しておられます。
実は、去年の夏に一度だけ此処宮原でお見受けしました。
ご挨拶も出来なかったけど、ブログでそのときの写真を出していて、ほかに撮影している人は
居なかったので、その方と確信しました。
不思議な気分ですが、今の世の中、そんな出会いもあるんですね。
誰かが言いました、自分はあなたを知らないけれどあなたは自分を知っている。
1979年5月 上尾~宮原。
水上の鉄橋を望む。
此処は前まで小さなスキー場があった所。
スキー場といっても小さなロープトゥーだかリフトが1基ある、本当に小さなスキー場。
子供のソリ遊びにもってこい、そんなところだった。
それでも、最盛期には休みになると結構の人出で賑わっていた。
10年ぐらい前に閉鎖されて、ここがスキー場だったことなんて、景色を見ても気づかないかも。
あの頃だって、オフシーズンにはゲレンデは畑だったもの。
幼稚園に通う息子を連れてきたスキー場。
小さなスキー場。
息子は晴れてこの春、高校へ入学する。
ゲレンデでソリに乗ったり雪遊びをして、はしゃぐ息子の笑顔がビデオに残っている。
「一緒に見るかい?・・・」。
照れくさいだってよ・・・・・。
小さかった息子・・・小さなスキー場で・・・。
2009年12月28日 湯檜曽~水上。