EF57・宮浜・102レ。

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これぞ宮浜。

 

AM定番ポイントといえばこれでしょう。

この日はざっと20人ぐらいのファンがここから左へ線路までの間にカメラを構えていた。

 

みんなどうしているのだろう。

自分のようにその後「鉄」ををやめてしまった人もいるだろうし、現役で続けている人もいるだろう。

 

いつか、宮浜で同窓会でも開いてみようかしら・・・なんてね。

 

 

1976年8月  東大宮~蓮田。

 

EF57・電基地で。

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東大宮にて。

塀の上に一人、その先の架線柱の影に一人。

 

 

昨今、山の世界では空前の百名山ブームらしい。

深田久弥が定めた日本の100の山々。

 

そもそも登山という行為は登山者各人によって登られるものだし、そこで感じる感動の種類や感性の

違いがあるのは当然だ。

もちろん季節に合わせて色々な山に登っても良いし、ひとつの山に通い続けるのも良いであろう。

登り方も、岩登りでも良いし沢登りでも、そして縦走でも、それぞれ各人の好みである。

そういう意味では、バリエーションルートの開拓にも一理ある。

 

但し、ひょっとして、山岳雑誌のきらびやかなグラビアに載っているとおりの場所やそしてお決まりのルートでしか

山に行ってない人も大勢いるのだろう。

さらに中高年の金にものをいわせた、コンパスと地図を持たない不安全登山を見事敢行している人も。

 

はたして、パイオニアワークの精神を持って山と対峙することが、どれほどの発見と感動を

感じることが出来るか知っているのだろうか。

100名山は山そのものとしては、あくまで人の選んだ100の山でしかない。

いってみれば10名山でも1000名山でも何ら数の限定であって根拠は選定者本人の

決まりによって選ばれただけなのだ。

 

つまり、どんなにかっこ悪くても、自分が納得できるテーマを自らひとつ決めてそれが

創造的であるか自問自答する。そうすれば自分の山登りが出来ると思うのだが。

 

 

当時兄貴がよく言っていた言葉

「兄弟で同じところに撮影に行って隣に三脚を立てて撮ってもつまらないだろ」

「自分で場所探しして撮ったほうが面白いぞ」

 

同じ趣味をしていても一緒に肩を並べて撮った記憶があんまり無い。

 

塀に上には珍しく 兄貴!

 

1976年8月  東大宮操車場。

 

EF57・宮浜・8401レ。

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太陽を背負い北上する。

武蔵野の雑木林の昼下がり。

 

東海道で特急を牽き、上越で雪にまみれ、今、武蔵野の地を疾走する。

 

上野から大宮へそして黒磯へ。今はそこが北限。

上越だったら、東海道だったらもっと遠くに行けるのに・・・。

 

雑木林や田圃を左右に見てその道をいつものように通う彼等。

 

もう間も無く終焉のときを迎えるであろう彼等。

相模灘の夕日や谷川岳の残雪を眺めたあの頃が去来し眼に浮かんでいるのだろう。

 

夏の日の草いきれが今の匂い。

 

1976年8月  東大宮~蓮田。

 

EF57・宮浜・6101レとフジカST801。

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夏休みも終わりに近づいてきた。

定番ポイントを行くゴナナ。

 

この頃のラインナップは、フジカST801・50mmと135mm。

 

クリーニングペーパーとシリコンクロスそれにプロアは欠かせない。

撮影から帰るとすぐに掃除をして、レンズも、ボディもいつもピカピカだった。

 

しかしその後の下取りの繰り返しで当時の機材はほとんど残っていない・・・。

 

でも・・・・・。

 

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あるんだなこれが!

先日中古ショップで手に入れた801。

当時の姿そのままに、完全稼動品。

ダイオードも光るし、レンズもバッチリ。

だってEBCフジノンだもの。

銀塩カメラ、捨てたものじゃないねぇ。

当時の記憶が甦る。

 

さぁきれいにしなくっちゃ。

 

1976年8月  東大宮~蓮田

2009年6月  自宅(フジカST801)

 

EF57・宮浜・8404レ・PM定番ポイントで。

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定番135mm。

蓮田駅先のカーブでチラリと頭が見える。警戒色じゃない。ゴナナだ!。

遠く蓮田駅からの直線、茶色い車体がやって来る。

 

・・さぁユサユサと車体を揺らし135ミリの画角に入って来た。

モードラなんてもってのほか・・ってゆうかそんなもの無い時代。一発勝負。

 

決まったか?。

 

 

左耳から右耳へとたくさんの車輪の音が駆け抜けてゆく。

 

 

1976年8月  東大宮~蓮田。

 

はくたか・離合。

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70系の窓から。

 

塩沢あたりだろうか、当然、非冷房の窓は開けっぱなしだ。

赤とクリームが迫ってくる。あっとゆうまに風がクロスする。

 

 列車の中を行ったり来たり、景色を眺めたり兄貴と話をしたりとあっという間に国境を越える。

そして渋川を過ぎると、まさに関東平野を感じる。

まもなく武蔵野の畑や雑木林が眼に入ってくる。

 

 

残り少ない夏休み、ゴナナが待っている。

 

暫らくの間上越線よさようなら。そして、またね。

 

1976年8月  上越線。

 

毛渡沢・夏の日。

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あの夏の日の日差しを覚えている。

ことさら此処「毛渡沢」の。

 

その後の変化が自然であれ、人工物であれ、それはどちらも甘んじて享受しよう。

だからこそ、僕らの時代の夏の日の想い出は今も続いている。

 

肯定からだけでは何も生まれない。否定からでしか生まれないものもある。

しかしそれは、否定し続けることでは決して無い。

 

だから毛渡沢に居た夏の日を忘れない。

 

1976年8月  越後中里~土樽。

 

越後湯沢のロープウェーに乗って。

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湯沢駅の石打側数百メートルを見下ろす。

新幹線はないし、家並みも長閑なものだ。

 

 

晩年まで小説「雪国」に筆を入れつづけた。

「高半」改修の年に自ら命を絶ったその作家はその後の変貌をあの世からどう見ているのだろうか。

 

天の川を天空から見下ろしその下にある今の越後湯沢の街を見ているのだろう。

「ほぅ、ずいぶんと立派になったねぇ」

 

1976年8月  越後湯沢~石打。

 

EF16+EF58・石打駅・夜行列車。

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石打駅のバルブ。

順に北陸 天の川 能登 鳥海。

 

まだブームになる前の、とある夏の夜。

天の川、能登、鳥海が10系寝台と雑客の頃。

 

単体露出計も無く、ほとんど感で露光時間を決めていたのではなかったか。

現像から上がり、写っていてうれしかった。

まぁ撮ったというより撮れたというのが正しかった。

なにせ初めてのシャッターダイヤルBの長時間露光だから。

 

すべてのきっかけは兄貴。一緒にいてくれてありがとう。

 

その後幾度と無く通った石打駅。

今でも相変わらず駅前で野宿する事もある。

出発を合図するホイッスルが脳裏にこだまする。

 

 

 

バルブといえば断固石打!!!。

 

1976年8月  石打駅。