車窓から横眼で。

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乗客は魚野川から東山の扇状地を見、遠く輝く越後三山に眼を見張るであろう。

 

30数年前、父と一緒に「とき」の食堂車の大きな窓から見たあの景色だ。

小刻みに揺れるテーブルで食べたハンバーグの味は今でも覚えている。

楽しいとおいしいと素適と。

 

春のぽっかり雲が日なたと日陰を交互に造る。

列車はものともせず矢のように射して行く。

 

 

2010年4月18日                   大沢~石打。

 

国境の鉄橋。

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カンジキを履いたあの季節がうそのよう。

すべてが冬眠から覚めたかのよう。

 

岩魚が走った。眼にも止まらぬ速さで。

大丈夫。竿は持ってないよ。

 

電車が鉄橋を渡ってしまうと水の音。

 

 

2010年4月18日                  土樽~越後中里。

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春には散歩を。

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車を止めて歩いてみよう。

 

地元のお母さんと挨拶をし今日の晴れの陽をにこやかに。

 

雪が消え待ちに待った春の陽。

軒先では、タイヤの履き替えに忙しい。

田んぼもトラクターが入り田起こし。

冬のあいだ出来なかった囲炉端会議もそこかしこで。

 

 

まもなく桜も・・・。そんないっときのしあわせ。

 

 

2010年4月18日                   塩沢~上越国際スキー場前。

 

春遠からじ。

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残雪の地に梅咲く。

 

冷たい雨の中、いつものように列車は過ぎる。

暖かくなることに戸惑いを感じ、梅の木は雨を享ける。

 

ひと雨毎に、散り際に心を刻み。

新生なった機関車の風を受け。

 

 

2010年4月7日                        石打~越後湯沢。

 

松島で。

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行く前から海を入れての写真が撮りたかった。

うわさに聞く日本三景の松島だもの・・。

ところが事前情報が乏しいわけで、しかもはじめての線区。

なかなかよいところが見つからない。

 

上の写真は漁港の近く、牡蠣の殻が沢山あり汐臭かったこと・・、下の写真は海に突き出した岩に

無理やり登って撮ったもの。

 

一番の思い出は、風呂に何日も入らないで駅寝を繰り返す鉄ちゃんに出会ったこと。

夏の日に一週間も風呂に入らない・・・。

距離は縮まりませんでした?。

 

 

1979年8月                    陸前富山~陸前大塚。

 

仙台の1500V。

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東北線のホームからずいぶん離れたところに仙石線乗り場があったように記憶している。

同じ電車でありながら、関東へは自走出来ない。

まさに離れ小島。

 

都落ちした彼らは杜の都で余生を送る。

 

 

1979年8月                            仙台駅。

 

フレートに抜かれる。

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雑客に揺られて。

後から来た貨物に抜かれる。

 

こんな客車だったら、いくら運転停車や追い抜きがあっても許せる。

のんびりとした時間が流れる。

 

赤い電機に揺られて・・・。

 

 

1979年8月                       東北線内。(駅不詳)

 

キハ10を始めて見た。

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10系気動車を見たのは、数年前の高麗川のキハ17以来。

当時、いろんな所に行けばまだ見られたのかもしれないが、上越や吾妻といった電化区間が

主な撮影場所だったこともあり、気動車といえば川越線のキハ30系を見慣れていたので

バス窓は新鮮だった。

それにしても撮影場所が分からない。

 

 

1979年8月                          東北線内(たぶん小牛田)

 

赤い電機。

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夏休みも終わろうとしていた8月、渋川の先生のお供で仙台に。

短い時間だったが仙石線や赤い電機の撮影をすることが出来た。

 

渋川の先生とはこの年の1月に大正橋のたもとでお会いして以来、大変と良くして頂き、

色々なところへ、毎度、先生の車に乗せていただき撮影へ行くようになっていた。

このときは、車両事故関係の技術的な証人と言う事で原告より依頼があり仙台に赴くので、

社会勉強という意味合いもあり、お誘いを頂いたというわけ。

出発の日は日中、吾妻線で撮影をし、夕方、大宮へ戻り、その晩の20系新星で仙台へ。

 

銀箱に三脚を持って法廷内に入るとき、撮影は出来ませんと、係員から注意を受け(もちろん

そんなつもりはありませんが)粛々と進む裁判に耳を傾けました。

裁判が終わり、依頼主の運転で蔵王のお釜を見に行ったのですが、覚えているのは

お釜の色と、ベンツの後部座席の乗り心地だけというなんとも贅沢な旅でした。

 

そして翌日、仙石線や東北線小牛田で撮影をして、583ひばりに乗って帰ってきたのでした。

 

 

思い出すと、後にも先にも、赤い電機を撮影したのはこの時だけだったなぁ。

あっそう、帰りの583の寝台設備が車両の動揺で、絶えずきしみ音がしていたのも覚えている。

 

 

1979年8月                             東北線内(たぶん小牛田駅)

 

蒲原の地に。

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春の陽の中、冬鳥越には昭和が佇む。

 

乗ったことも無ければ、実は見たことも無い。

廃線跡には、名残の築堤。そして春の陽。

 

 

誰もいない汽車の中。

眼を閉じると、築堤の上を行く・・・。

窓を開けると、つり革を揺らしジョイントを刻む。

 

土の匂いが、鼻腔を通り抜け、春だったことを知らせてくれる。

 

 

2010年4月9日                       冬鳥越。