彼の住んでいるところ。

RIMG09270021.jpg
彼の家は上高地への入り口とでも言うべきところ。
梓川へは、ほんの数分。

去年の夏に会って以来だ。

心優しき、太公望。

釣果には恵まれなかったが、何よりも一緒いて
景色の中に溶け込めただけで嬉しかった。

『心優しき彼の太公望、また!』。

雪道。

RIMG09092.jpg
越後川口から飯山へと抜ける国道117号。
折りしも、冬へ逆戻りしたかのよう。

地震があったあの日、発生数時間前に、
くしくも震源地を訪れていた。

『早く春よ来い』、と思う心。
アスファルトのグレーを『白』が包み隠す。

バックミラーにわずかな轍が線となる。
春間近。

土合。

doai7910140031.jpg
昭和6年開通の上越線『清水随道』を抜け土合駅に
滑り込む『とき』。

高校生の頃、渋川の高校の先生と知り合い、休みのたびに
誘いを受け電車の写真を撮りに行った。
先生の家に前の晩にお邪魔して、翌日、群馬はもとより、
遠く新潟・長野まで車でしか行けない撮影地へも出かける
ことが出来た。

ビールがうまいと感じたのも、その頃だった。
いろんな意味でおおらかな時代だったように思う。

秋晴れのその日のことを昨日のように思い出す。
1979年10月14日撮影。

駅。

RIMG08322.jpg
旅先のご馳走。
いや、どこぞに勇気を持って駅の外へ出かけることが出来ないだけのこと。

駅そばは、ファーストフードだったりする。
もちろん蕎麦そのものや、出汁は違っているけれど。

カウンターの中は、どういう訳か大概、おばさんのことが多い。

向こうはどんな客かと思っていることもあるだろう。
こっちは、どんな境遇であるのかと思ったりする。

富山駅。
「立山」の文字が真っ直ぐ見える。

百鬼園先生。

RIMG08620031.jpg
大きな、飛んでも無い大きなソナタを、この急行列車が
走りながら演奏している。
線路が東京から新潟に跨る巨大な楽器の弦である。
清水隧道のある清水峠はその弦を支えた駒である。
雄揮無比な旋律を奏しながら走って行く。
レールの切れ目を刻む音にアクセントがある。
乗客はその迫力に牽かれて、座席に揺られながら
みんなで呼吸を合わせている様に思う。

内田百閒
「雪中新潟阿房列車より」

時間を気にせずして旅を楽しむ。
出来れば最低半日ぐらいは列車に乗っていたい。
便利なことは良いけれど飄々と漂う時間も必要です。
いろいろなことを考えながら。

雪の少ない雪国への車内にて。

ホイッスル。

RIMG07510022.jpg
暫らく前まで、山間のこの駅には、峠のシェルパの汽笛が響いていた。

今は鉄道公園の、動態保存であるEF63のホイッスルが往時を偲ばせるがごとく、駅裏の「おぎのや」で蕎麦を啜る自分に、落ち着きの無さを与えている。

駅前のアプト時代のラックレールの傍らで・・・。ズズッズ・ズッー。

石打駅。

ef580031.jpg
初めて石打のバルブ撮影をしたのは中学2年の夏休み。
その後幾度と無く訪れた思い出深い駅。

ダイヤ改正や合理化、機関車の性能向上で、あの頃のような写真は取れなくなってしまったが
それでも何か事あるごとに駅に寄ってしまう。

この写真は高校2年の時、文化祭の代休で来たときのものだ。
1979年9月24日と記録がある。

列車進入を知らせる独特の警報音が今でも耳に残っている。