背中の山がゴウと鳴く。
冬の枝を切る高音ではなく、初夏の葉ずれの〝ゴウ〟。
風が止むと谷渡りの一声。
日陰のふきのとうは芽吹いたばかりなのに。
はくたかの羽音が田んぼの水の上を渡って聞こえてくる。
2010年5月15日 石打~大沢。
背中の山がゴウと鳴く。
冬の枝を切る高音ではなく、初夏の葉ずれの〝ゴウ〟。
風が止むと谷渡りの一声。
日陰のふきのとうは芽吹いたばかりなのに。
はくたかの羽音が田んぼの水の上を渡って聞こえてくる。
2010年5月15日 石打~大沢。
昭和6年開通の清水トンネルを抜け、「とき」が山間の駅の歩廊に差し掛かる。
ホイッスルを短く鳴らし、あっという間に通り過ぎる。
岳人は、まだ西黒尾根からの下山の途中か?。
そんな時間。
西に傾き始めた陽が白毛門を順光に照らす。181は越後から上州へ。
秋の陽のそんな景色は、コルゲートのボルトと波に三脚を立て・・・。
1979年10月 土樽~土合。
綾戸のダムを渡って反対側へ。
急行佐渡転覆の場所といったほうが判るだろうか。
1977年3月のことだった。
暫らくのあいだ岩本駅でブルーシートを掛けられた165がいたのを何度か見ている。
なぎ倒された架線柱の基部コンクリートが一本だけ新しくなったのも鮮明に記憶している。
1979年10月 津久田~岩本。
雨の大宮駅。
こんなのも走っていたんだ。
へぇー。撮ったことすら忘れていた。
1979年9月 大宮駅。
ダイヤグラムを何度も見る。
音も無く彼方に列車は走る。
だから・・・。
風が吹き抜けるだけ。
2009年6月1日。 岩原スキー場前~越後湯沢。
きょう最後の日を浴びて。
はくたかは終着を目指す。
山の上から、トーキーの映を見るように過ぎる一瞬。
田んぼの土の匂いが風に乗って届いてくる。
はくたかが遠くで羽を大きくはばたくと。
暫しの、休息の地へもう少し。
2009年6月1日 石打~越後湯沢。
雨に濡れる構内。
コンプレッサーの音も、汽笛も、そして警戒音すらすべて雨の幕に包まれる。
いつものように連結、そして出発を迎える。
折り畳み傘のつばを少し上げるとテールライトが雨にけぶり彼方に去っていった。
1979年9月 石打駅。
今度は文化祭の代休がらみでいつもの上越線へ。
あいにく天気が優れなかったのを覚えている。
まずはいわっぱら、そして大沢。夜はもちろん石打!。
181を駆逐したとはいえ、やっぱり「とき」。
棺おけ電車などと揶揄されたが、耐寒装備の1000番台は決して嫌いな車両ではなかった。
ヘッドマークの絵も似合っていたように思う。
先日31年ぶりに、此処へ立った。
雪に隠れた畦の水路枡に落ちるというおまけ付ではあったが・・・。
季節は違えどもなんとも懐かしい風景。
杉の木がずいぶんなくなっているのがよく分かる。
・・・よーく手前の雪を見ると穴が開いています・・・とほほ。
1979年9月 越後中里~岩原スキー場前。
1979年9月 大沢~塩沢。
2010年4月18日 大沢~上越国際スキー場前。
この頃、絵入りヘッドマークが台頭してきた頃だと思うが、中にはどうにもデザインが好きになれないものもあったりして。
白地に黒のシンプルさに比べ、似合うものと似合わないものとがあったと思うのは自分だけだろうか。
白山に至っては、その後の車両塗装変更を見るにつけ愕然としたのを覚えている。
まぁこの頃はJNRマークに特急色。横から見れば何のことは無い。
下の写真のロクニは、後のパンタがPS22に改造されている。
なんで片方なの・・・。
記録としてはいいのだが・・・。
ちなみに残念ながらこの撮影場所も定かではない。(たぶん黒姫あたりかなぁ)
1979年9月 信越線内。
一見、複線の後追いかと思いきや、実はあたまを撮っている。
右の線路はバラストも新しく、後にモーターカーも写っている。
つまりこの頃、複線工事中であった。
藪を掻き分け撮ったのを記憶している。
この写真もどこかはっきりしない。
たぶん新井かどこかであろう。
1979年9月 信越線内。