百鬼園先生。

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大きな、飛んでも無い大きなソナタを、この急行列車が
走りながら演奏している。
線路が東京から新潟に跨る巨大な楽器の弦である。
清水隧道のある清水峠はその弦を支えた駒である。
雄揮無比な旋律を奏しながら走って行く。
レールの切れ目を刻む音にアクセントがある。
乗客はその迫力に牽かれて、座席に揺られながら
みんなで呼吸を合わせている様に思う。

内田百閒
「雪中新潟阿房列車より」

時間を気にせずして旅を楽しむ。
出来れば最低半日ぐらいは列車に乗っていたい。
便利なことは良いけれど飄々と漂う時間も必要です。
いろいろなことを考えながら。

雪の少ない雪国への車内にて。

ホイッスル。

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暫らく前まで、山間のこの駅には、峠のシェルパの汽笛が響いていた。

今は鉄道公園の、動態保存であるEF63のホイッスルが往時を偲ばせるがごとく、駅裏の「おぎのや」で蕎麦を啜る自分に、落ち着きの無さを与えている。

駅前のアプト時代のラックレールの傍らで・・・。ズズッズ・ズッー。

石打駅。

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初めて石打のバルブ撮影をしたのは中学2年の夏休み。
その後幾度と無く訪れた思い出深い駅。

ダイヤ改正や合理化、機関車の性能向上で、あの頃のような写真は取れなくなってしまったが
それでも何か事あるごとに駅に寄ってしまう。

この写真は高校2年の時、文化祭の代休で来たときのものだ。
1979年9月24日と記録がある。

列車進入を知らせる独特の警報音が今でも耳に残っている。

粥仁田峠。

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本営が瓦解した中、丙大隊長、落合寅市が
「進め進め」の掛け声の中、小川口へと越えていったところ
粥仁田峠。

夕方、釜伏峠から遠く両神山へ沈む夕日を見た。
このとうげの麓は、大野苗吉の出身地でもある。

粥仁田峠近くでテントを張り夜を明かした。
満天の星。
大宮郷と呼ばれた秩父の街の灯りが瞬いている。

困民党への想いが
駆け上がってきた冷気と混ざり合った。

秩父のオクリ。

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耕地には、いつもと変わることなく冬の日差し。

甲州街道を外れ雁坂の峠を越し、さまざまな文化や生活物資が、ここ栃本をすぎ秩父の町へと入っていった。
数年前、国道140号線が雁坂嶺の真下をぶち抜き今に至る。
しかし、昔とは違い、さほど文化や生活の行き来があるようには思えない。

高校生の頃、行き止まりの国道に漠然と疑問を持った。

やっぱり秩父の”オクリ”だね。
耕地の下から移動販売の車が来たことを知らせている。

東京と新潟。

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先日、熊谷から東京へ。
熊谷では一面の霜、もちろん東京は晴れていた。

スキーが盛んな頃、上野へと向かう満員の鈍行列車の中、
お互いの感情が決して穏やかではない車内でのこと。

分水嶺のトンネルを越え、暗澹たる景色から青空の下へ
さらされた瞬間、さっきまでの一体感のない車内に
陽の光が射し込み歓声が上がった。

人の気持ちは案外そんなものかなと思った。
しかめっ面していた自分が恥ずかしくなった。
16歳の頃。

今更ながら東京の空もまんざら捨てたもんじゃない。
なんて思った。