秋。

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ハレの日、勤しむ人々。
ケの日、沈黙する。

ハンノキに掛けられた今年の実りが、秋の日を浴びて、
その湿度を天上に帰してゆく。
その山上からアキアカネが使者として舞う。

空と地と水。
今日ばかりは、ケを厭い、ハレに感謝して。

加茂の山ふところ。

カムイッシュ。

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神の住むところ。

夕どき、右手の山の先、日が落ちる。

山影は、蒼く沈む。

国立公園内で、繰り返される営み。
そんなことも知らずに、内地からの観光者。

観光者たる所業。そして、観光者を飲み込みむ所業。

風と共に静かに蔭ゆく・・・蒼き湖。

秋風が吹くと、すでに、その景色を思い出す。

誇り。

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北海道の十勝平野を旅した頃。

河岸段丘の畑を見下ろすその場所で、民間委託され自家用車で郵便配達をするひとりのおばさんに会った。

挨拶を交わし、また次の配達先に向かうおばさん。小一時間もした頃、また、過のおばさんが坂道を上がってきた。
下の町でわざわざ自分のために弁当やらジュースを買ってきてくれた。

ひとしきり、都会に出て行った息子の話などをする中、おばさんが言った一言。
『ここから見る景色はいちばんよ。季節の移り変わりや、朝な夕なに見るここが好きなのよ』
『ここが自慢なのよ』、と。

誇り高く生きている人がそこには居た。
何気ない景色の中に。

夕暮れを前に、河岸段丘を見下ろす。

会津の先生。

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秩父困民党のことを知ったのは今から25年ほど前のこと。

大河ドラマで、戊辰戦争の生き残りとされ登場する”会津の先生”。
実在したかというと名前も明らかではないが、確かに会津から来た人物がいたそうだ。

自由民権の旗印の下、関東一斉蜂起を夢見て散っていった人々。
新式村田銃の洗礼を受け遠く信州の地で果て、
その後遠く北海道の地まで下った人もいたという。

会津鶴ヶ城の容保公の肖像写真を見るたび想う。
果たして、望みは何であったのかと。
時代こそ過ぎたが、おそらく、秩父の人々とどこか同じ思いではなかったのかと。

その頃、会津を旅したとき、ふと立ち寄った田舎の雑貨屋で、米や味噌を頂き野宿し続けたことを思い出した。
素朴な中に強さを秘めた人だったように記憶する。

旅の途中、会津川口駅で汽車を降りたのは遠い昔。

復興。

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あれから2年になろうとしている。

先日、国道291号線が全線開通した。
いたるところ工事だ。丘陵地から眺める工事現場は、谷底のダム建設のように見える。
真新しい道路標識も、ほとんどが通行止めとなっている。
いつになったら、静かな昔に戻るのだろう。

山古志の土砂崩れダムを見下ろす。

輪廻。

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生態系の重要性が話題になる昨今。

必要最小限の動植物の享受はありえるものと。

かつて、アイヌの人々に熊送りの儀式があったように、自然の中に神の存在を意識して生活してきた人々の生業。

特攻船に乗り、旧ソビエト国境までも出漁せざるおえない現実。

“其処”に住む、ということの難しさを感じる。

羅臼より国後を望む。

8月15日を想う。

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紙切れ一枚で遠く南方や満州に動員され、挙句に国家に見捨てられ、野末のしゃれこうべとなった多くの先人たち。

翼賛の時代、関東軍の暴走。
侵略侵攻された、彼の国々。

紙切れすらなく、突然の日本行き、行ってみたらタコ部屋労働、人間以下の扱い、繰り返される暴力、粗末な食事。
祖国に帰れることなく、日本の野末の土の下となった多くの人々。

アイゴーと叫ぶ彼らの声がそこかしこから聞こえる。

身内の命日でもある15日に、ふと考えた。
平和とは。

夏の青空を仰ぎ、合掌。

土樽。

ふと、六日町へと用事のついでに、土樽駅へ行ってきた。

無人駅となって久しい待合室には、外国の方がお二人、山から降りられて来たようで汽車を待っておられました。

特急退避で2番線についた各駅停車の窓から線路を見下ろすと冬季融雪の水路があり、あの暑い日にそこへ魚が泳いでいるのを見たのはずいぶん昔の事だった。

赤錆びた水路には何もいなかった。

土樽駅のすぐ脇に関越自動車が通っている。
なぜか冬に見た景色を思い出した。
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