神聖なるお山。男体山。
龍が、明け始めた東の空へ帰ってゆく。
なので、帰ってしまった龍神様のご加護はあるわけもなく、
残された身には、魚の顔を見ることが許されない、ひたすら修行の一日でした。
今度は白装束でも身にまとってみようか・・・(修験者かっ)。
2010年7月19日 中禅寺湖。
神聖なるお山。男体山。
龍が、明け始めた東の空へ帰ってゆく。
なので、帰ってしまった龍神様のご加護はあるわけもなく、
残された身には、魚の顔を見ることが許されない、ひたすら修行の一日でした。
今度は白装束でも身にまとってみようか・・・(修験者かっ)。
2010年7月19日 中禅寺湖。
国策、エネルギー政策の下、切り捨てられていった夕張。
先日、足尾へ行った折、ふと3年前に訪ねた夕張で見かけたポスターを思い出した。
北炭夕張のガス突出事故の日の朝、NHKのニュース。
昭和56年10月・・・。
サイレンが鳴り響き、次々と運び出される遺体。
その後、二次災害でもある火災を鎮火させるために、生存が確認されること無く
鉱内への注水により、事故は終わりを迎える。
ニュースは、まるで静止画像のような紅葉が始まった一見穏やかな夕張の山、そぼ降る雨の景色を伝えていた。
あの頃、北海道や九州からの炭鉱離職者がたくさん首都圏へ流れてきた。
当時自分の住む埼玉にも、友達のお父さんが炭鉱出身で、黒いダイヤ、金の卵
と呼ばれた時代を懐かしみ、話してくれた一説を今も忘れない。
2007年9月 夕張地内。
レトロとは呼ばない。
決して。
明治、大正、昭和・・・。
時代に翻弄されたのか。
田中正造の声なき声すら聞こえない。
今を生きるのみ。
平成の今。
2010年6月 足尾地内。
紫陽花は、紫それとも水色。
本当は水色が好き。
なので・・・。
晴れていて良かった。
水色は雨が似合うから。
2010年7月10日 大沢~石打。
12月の30日頃ではなかったか。
本当に雪が無い。
もっとも年が明けて本格的な雪が降ったのだが、この年は年末年始のスキー場は
雪不足だったように記憶している。
グリーンの帯が1両・・。
この頃から帯が消えていったのかな。
それにしても、181といい165といいかっこいいねぇ。
1979年12月 岩原スキー場前~越後中里。
バイクにカメラバックと三脚をくくりつけ、大宮から。
日の出の頃、まずは暖気運転をして。
さぁ出発。
手がかじかむ、足の指先も・・・。
オレンジのジェットヘルから出ている顔に当たる風が冷たい。
波久礼から金尾峠を越え長瀞へ。
空気が変わるのはちょうどそのあたり。
さぁデキがやってきた。
楽しい一日の予感。
1979年12月 長瀞~野上。
背中から軽トラのエンジン音。
草取りに行くおじいさん。
挨拶を交わし、暫し蝉の声。
モーター音と共に貨物列車が通り過ぎる。
そんな昼下がり。
2010年7月10日 岩原スキー場前~越後中里。
秩父の地は、かつてこの桑をとても大切にしていた。
蚕のための桑。
夜になるとサワサワと蚕が桑を食む音が一階にいても聞こえてきたそうだ。
冬枯れの桑畑のこみち、霜柱が解けていく。
貨物がガッタンガッタン過ぎてゆく。
1979年12月 野上~上長瀞。
急行秩父路。
オリジナル300系。
今見ても良い色合い。
正に秩鉄カラー。
秩父鉄道。最近リバイバルカラーがはやっているようで。
また見に行きたいな。
1979年12月 長瀞~上長瀞。
秩父鉄道で忘れてはいけないのは、デキたち。
鉱石列車はもちろん、普通貨物とあわせるとたくさんの列車が走っていた。
旅客と貨物の比率は6対4ぐらいだったのでは。
デキ4はまだ茶色だったかなぁ。
デキ300はシールドビーム改造前だ。
1979年12月 上長瀞~親鼻。