クロひばり。

クロの先頭車のひばりが来ると嬉しかった。なんとなく得をした気分になったものだ。

あの頃は電車の運用までは詳しく知らなかったので来るとラッキー。そんな感じだった。

此処、那須連山の見えるお立ち台は何度か通ったが今はどうなっているのだろう・・。

因みに前の晩は宇都宮駅で早朝までバルブ。眠たかったなぁ。

1979年5月   東北本線。

夏の終わりの汗かく昼下がり。

懐かしい景色の合間に改めて線路が見える場所を探してうろうろしている。

滴り落ちる汗に何度額を拭ったことか。

気が付くと稲穂が色を変え始めている。もうそんな季節かと・・・。

コンビニに寄って何本目の飲み物だろうか・・。

日陰で一息つくとやがていつもと同じように列車がやってきた。

2020年8月20日   信越本線。

本線を往く。

信越本線。

今では上野から高崎、長野、直江津そして長岡、新潟の一本ではなくなってしまった本線。

碓氷峠は無くなり、そしていくつかの3セクのバラバラになってしまった線路。

線路は続くよどこまでも・・・。昔の詩になってしまった本線に国鉄時代の生き残りが通り過ぎる。

2020年8月20日   信越本線。

晴れの陽の朝。

国上から弥彦そして角田の懐かしい山々。

西蒲三山と言われる下越の海沿いの山々。良寛さんで有名な場所でもある。

去年の4月以来訪問の越後線。昨今、鉄と地元とのトラブルが色々とあったようで、そうなると会いたくない同業者が増えているわけで足が向かわなかった。

元々お立台と呼ばれるような撮影地には近寄らないようにしているので心配いらないと言えばそれまでだがなんとなく興醒めしている自分の思考はそんな中で一歩引いてしまうのは今も昔も同じな訳で・・・。

誰もいないところと言えばある意味都合が良いのは分かっているのだけれどね・・・。

2020年8月20日   越後線。

黄昏迫る頃。

予定していた撮影場所では野焼きをしていてけぶっていた、駄目だ・・・。急ぎ車で追い立てられるように小出を発車しているる列車の先を求め移動した。

そうだ大きなカーブの側面に陽があたるのでは・・。

ススキの穂が出始めたカーブの先からタイフォンひとつ列車が現れた。

撮影が終わると山の湧水を一口・・。

さぁ素敵な水は飲みすぎないようにして今夜の一献に備えよう。随分暑い日だったから・・・。

2020年8月19日   只見線。

季節は廻り。

魚沼もここいらあたりまで来ると奥只見や会越国境の山々もきれいに見える。

この写真の奥に見えているのは荒沢岳。今日はこの時期にしては抜けもよく俯瞰してみた。

里は秋に向かい稲穂も色づき始めたようで、新米の季節までもう少し、楽しみだなぁ。

2020年8月19日   只見線。

霧の日の十勝。

甲子園交流試合の今日。

十勝の帯広農業が勝利した。昨秋の地方大会での成績により21世紀枠に選出され、その名に恥じない、いやそれどころか昨秋の神宮大会準優勝の健大高崎に真っ向勝負し素晴らしい試合内容だった球児らにエールを送りたい。

トーナメントではないそれぞれ僅か一試合のこの夏だからこそ其処に改めて清々しさを感じいつもの笑顔と涙とは違った試合を終えるサイレンに大きな拍手を送ろう。

帯広農業の3年生は今日の試合が引退試合となり卒業後は野球を続ける生徒はいないとのこと。

・・・野球解説者がひとりの生徒の出身地である地名を紹介し其の小さな街から通った彼を讃えていた・・・。

想い出した・・・霧の日。随分前の景色だけれども、それがこの街。そして駅。

33年前に訪れた池北線は3セク前のJR時代末期だったわけで・・。線路も剥がされた痛々しい姿に、まるで国のエネルギー政策が石炭から石油に代わってゆく中取り残されていく北の大地に次は鉄道もかよと想ったのだった。

夏の霧の日が晴れると必ず青い空と白い雲が訪れるはず。

帯広農業の球児の皆さん甲子園で見た青い空と白い雲を胸に抱いて近い将来そして遠い未来、十勝の大地で霧の日も雨の日もそして長い冬の間もめげずに堂々と生きていってください。

今日の一勝お疲れさまでした。

ウイスタ4×5VX ジンマー150mm  50D

1987年8月   池北線。

国境の駅。

とにかく新潟へ向かう列車に乗っていたことは間違いないのだが・・。

733Mだったように思うが・・。

夜行だか急行に抜かれたんだっけ、記憶が定かではない。短い停車時間で6×6版を三脚に据えてバルブした今は無いホームでの一枚。

1980年12月   上越線。