115系1000番台。

新製間もないころの115系の1000番台。まだ冷房を積んでいない頃の初期の姿。

室内はアルミ基調で輝いていたし、網棚も従来の紐状の網ではなく金属に、サッシも改良されてすきま風が少なくなった印象だった。外観は初めからシールドビームだし連結器脇のトイレの換気口だかは大きくなって、そして窓枠もカクカクしてなんだか洗練されたイメージになったと記憶している。

今や越後線の115系が最後の国鉄型だとか言われ、ファンなんだかどうなんだか、わけがわからない輩がやたら出没しているようで・・。

地元の方にも挨拶しろ!畔や畑を壊すな!無用な場所取りや迷惑が掛かる駐車も慎め!・・・。あー嫌だ嫌だ・・・。なのでたぶん人が集まりそうなところへは行きたくないから今年は考えなきゃかもね。

1978年12月   上越線。

通学列車から。

ゴハチの牽く2321ㇾの右車窓。鴻巣から吹上の今で言う北鴻巣駅の手前、丁度駅前の区画整理や造成が始まったころで武蔵水路に架かる新しい橋が右に見える。

遠くには今と変わらず赤城連山が見える、皇海山から男体山にかけての稜線は冬型が強く雪雲が流れてきているのも分かる。

通学や通勤は大概同じ車両の同じ座席や扉だったりすることが多いと思うが2321ㇾの自分の位置は最後尾の車両がほとんどだったように記憶する。武甲山や秩父連山を眺めるのだったら進行方向左側になるのでこの逆の車窓が多かったように思うのだが鴻巣を過ぎると車輌が空くことが多く座席の往ったり来たりもしていたのだろう。

1978年12月   高崎線。