国策、エネルギー政策の下、切り捨てられていった夕張。
先日、足尾へ行った折、ふと3年前に訪ねた夕張で見かけたポスターを思い出した。
北炭夕張のガス突出事故の日の朝、NHKのニュース。
昭和56年10月・・・。
サイレンが鳴り響き、次々と運び出される遺体。
その後、二次災害でもある火災を鎮火させるために、生存が確認されること無く
鉱内への注水により、事故は終わりを迎える。
ニュースは、まるで静止画像のような紅葉が始まった一見穏やかな夕張の山、そぼ降る雨の景色を伝えていた。
あの頃、北海道や九州からの炭鉱離職者がたくさん首都圏へ流れてきた。
当時自分の住む埼玉にも、友達のお父さんが炭鉱出身で、黒いダイヤ、金の卵
と呼ばれた時代を懐かしみ、話してくれた一説を今も忘れない。
2007年9月 夕張地内。