雪晴れの中つるぎを牽くEF81。
今日(2009年8月30日)見た81はくすんでいた。
日本海の荒波を受け日々仕事をしてきた結果、それとも手入れをするべく状況が無いのか。
それにしてもヘッドマークがあればなぁ。
1977年3月 前川~来迎寺。
雪晴れの中つるぎを牽くEF81。
今日(2009年8月30日)見た81はくすんでいた。
日本海の荒波を受け日々仕事をしてきた結果、それとも手入れをするべく状況が無いのか。
それにしてもヘッドマークがあればなぁ。
1977年3月 前川~来迎寺。
ホームの駅蕎麦屋は、谷川岳へ向かう登山客やクライマーでこんな時間でも大盛況だ。
バルブ撮影をしてから行くと売り切れ。
土合駅から始まるいきなりの登高のエネルギーになるのかな。
シュリンゲに吊るされたカラビナが鈍くひかり、乾いた金属音を響かせる。
ザックの雨蓋からのぞくザイルの赤、そしてヘルメットの傷がかっこいい。
こっちだって銀箱のこすれと三脚の傷がかっこいい。
俺の明日の活力はだるま弁当だ。
ゴハチの35番が牽く「天の川」が733Mを追い抜いてゆく。
1977年3月 高崎駅。
乗り継いだ先、青梅駅にはクモハ40が待っていた。
無骨で正義を貫く父親、そして何よりも昭和の気概を持ち戦後を生き抜いたあの人。
8月15日は父親の命日。
戦争が激しくなる頃、新潟から東京は大森へ丁稚奉公に出た。
あの京浜空襲の中、大八車を牽き奉公先の機械を運び出した。
グラマンのパイロットは機銃掃射を浴びせ、ドブ板に倒れこんだ彼のすぐ脇、
銃弾を機械に貫通させ飛び去った。
ドブから這い上がった彼の顔は、汚れていたのではない。
たぶん生きていることに顔を歪め何かしら笑っていたのだろう。
生きるか死ぬか。自らの意思において決定できない時代が身近にあった。
無骨な茶色の電車を見て8月のあの日を思い出した。
1977年3月 青梅駅。
杉林を抜けると、いい樹液の出る椚があるんだ。
ほら列車が来るよ。
夏休みもあと僅か。
日焼けしたおにいちゃんと後を追いかけるおとうと。
夏休みがずうっーと続けばいいのに。
兄貴元気か。
2009年8月25日 五日町~六日町。
六日町を出て上越線と別れ左に大きくカーブする。
とたんに夏の日差しが窓から差し込む。
各々一斉にカーテンを降ろす。
ほら右側!
今日は山が綺麗に見えているよ。
2009年8月25日 六日町~魚沼丘陵。
「今年は雨が多くて畑の豆は葉っぱばっかり育って・・・」
「畦の豆はいいんだども」
夏の陽が沈む前に畑の手入れに来たおじさん。
「農家はこればっかりはしょうがねぇすけ・・・」
モーターを唸らせ列車が通り過ぎる。
気が付くとブヨに刺されていた。
2009年8月26日 六日町~五日町。
勾配を駆け下る。
もう降りるだけだよ。
サミットを越えループを回り鉄橋を跨ぎ越後湯沢までもう少し。
波の彼方に手を振るよ。
2009年8月26日 越後中里~岩原スキー場前。
長岡のカマ。
当時は高崎線でも沢山の長岡機関区の機関車を見ることが出来た。
写っているのはEF1520。EF16の改造を受けた後、元のEF15に戻ったうちの一両だ。
耐寒対雪仕様の面構えが関東の冬の低い日差しを浴びて、遠く上越国境に思いを馳せ
ひた走る。
待っていろよ雪や風!。
負けないぜ!。
1977年2月 大宮~宮原。
昼下がり。
汗が噴出してくる。でもなんだか気持ちいい。
さわやかな青春の汗・・・いやいや、加齢臭のオヤジ臭い汗だったりして・・・。
草いきれが匂うこの季節、太陽が肩に圧し掛かる。
唾を飲み込んだ。
2009年8月18日 石打~大沢。
コンテナが少なくとも、いつもと同じように貨物列車は走る。
申し訳なさそうに付いたコンテナは、誰の荷物。
いつ、何処へ何のために・・・。
支える人支えられる人。
ラヂオからは甲子園の熱闘が青春のその日を伝えている。
2009年8月18日 大沢~石打。