和銅大橋。

まだバイパスもないころ。蓑山にトンネルが通るとは夢にも思わない時代。140号線の黒谷を過ぎると川向うに至る新しい橋が出来たようだ。そして其の橋から見える秩父鉄道の鉄橋。

出来たばかりの橋の上から写真を何枚か撮ると河原へ降りてみたくなり、更には浅瀬を伝い右岸へ。見上げる鉄橋は夕陽に照らされていた。

帰りしなの水が冷たかったこと。更にはバイクに乗り薄暗い電球で照らされた道を帰ってきたんだっけ。

1978年11月   秩父鉄道。

冬の秩父の色。

冬が来ると秩父の景色を想い出す。

遠く西の空に奥武蔵の低山を望み頭一つ抜きんでた武甲山を確認する。更に向こうには両神山から連なる武信国境の山々。

バイクに機材を積んて゛その山懐である秩父の盆地へと足を踏み入れると、関東とは違うキンとした空気に触れることができる。

其の余韻は、今も昔も変わらない。

1979年1月   秩父鉄道。

いいでざおうだったっけ。

久しぶりの更新です。

またまた1979年の画像から。

天気が良くない日だったことだけは覚えている。実はこの後ある列車を烏山へ追いかけたのだが、イベント列車でつまらないので割愛。

今日の2枚は行きがけの駄賃ともいえるもの。

電化区間を往くDC、長編成に長距離・・。今では考えられません。

こちらは大相撲地方巡業用の仕立て列車。

グリーン車は協会関係者や横綱などの関取上位が鎮座し後ろは・・言わずもがな・・・。

1979年7月。   東北本線。

2321ㇾ。

列車中央に見えている建物は上尾高校の校舎。

その上尾高校に通っていた友人が言っていた。高校脇に新駅が出来るらしい・・。結局卒業してから暫く経った1988年にすったもんだの末開業となった。駅周辺の開発が進むとこの撮影地も撮れなくなり、今此処へ立つことも許されないような密集した住宅地に変わってしまうとは当時は想像もつかなかった。

1979年6月   高崎線。

きのこクーラーの離合と。

大好きな「とき」。

ダイヤを見るとここいら辺ですれ違うはず。

いまでもかろうじて当時の雑木林の面影が残る区間。今ではだいぶスカスカになってしまったが当時はもっと鬱蒼としていた。すでに午後の遅い時間でないと181同士の離合は無かったように思う。その後何度か通ったがロクな写真は残せなかった。

何せ藪蚊が多くて難儀したよ。

で振り返ると通り過ぎる「とき」後追い。

1979年4月   高崎線。

あの頃は。

数年前に上越線の水上方から115系が無くなる頃、此処の俯瞰が出来る撮影場所から眺めた農家の佇まいは随分と綺麗になってしまっていた。かなり前に建て替えられた母屋のことは知っていたのだが右端に見える土蔵が健在であることをその時に知った。今もあるのだろうか。

1979年5月   上越線。

クロひばり。

クロの先頭車のひばりが来ると嬉しかった。なんとなく得をした気分になったものだ。

あの頃は電車の運用までは詳しく知らなかったので来るとラッキー。そんな感じだった。

此処、那須連山の見えるお立ち台は何度か通ったが今はどうなっているのだろう・・。

因みに前の晩は宇都宮駅で早朝までバルブ。眠たかったなぁ。

1979年5月   東北本線。