2321ㇾ。

列車中央に見えている建物は上尾高校の校舎。

その上尾高校に通っていた友人が言っていた。高校脇に新駅が出来るらしい・・。結局卒業してから暫く経った1988年にすったもんだの末開業となった。駅周辺の開発が進むとこの撮影地も撮れなくなり、今此処へ立つことも許されないような密集した住宅地に変わってしまうとは当時は想像もつかなかった。

1979年6月   高崎線。

きのこクーラーの離合と。

大好きな「とき」。

ダイヤを見るとここいら辺ですれ違うはず。

いまでもかろうじて当時の雑木林の面影が残る区間。今ではだいぶスカスカになってしまったが当時はもっと鬱蒼としていた。すでに午後の遅い時間でないと181同士の離合は無かったように思う。その後何度か通ったがロクな写真は残せなかった。

何せ藪蚊が多くて難儀したよ。

で振り返ると通り過ぎる「とき」後追い。

1979年4月   高崎線。

あの頃は。

数年前に上越線の水上方から115系が無くなる頃、此処の俯瞰が出来る撮影場所から眺めた農家の佇まいは随分と綺麗になってしまっていた。かなり前に建て替えられた母屋のことは知っていたのだが右端に見える土蔵が健在であることをその時に知った。今もあるのだろうか。

1979年5月   上越線。

クロひばり。

クロの先頭車のひばりが来ると嬉しかった。なんとなく得をした気分になったものだ。

あの頃は電車の運用までは詳しく知らなかったので来るとラッキー。そんな感じだった。

此処、那須連山の見えるお立ち台は何度か通ったが今はどうなっているのだろう・・。

因みに前の晩は宇都宮駅で早朝までバルブ。眠たかったなぁ。

1979年5月   東北本線。

珍しい場所。

上越線の撮影地の中でも渋川の鉄橋は今でも有名撮影地なのだが上の写真の構図はこの時を入れてもほんの数枚。下の沼田の鉄橋に至ってはこの時だけだったようだ。

そうかと思えば通い詰めるところもあったりで・・。

1979年2月

1979年4月 いづれも上越線。