カンジキを履いたあの季節がうそのよう。
すべてが冬眠から覚めたかのよう。
岩魚が走った。眼にも止まらぬ速さで。
大丈夫。竿は持ってないよ。
電車が鉄橋を渡ってしまうと水の音。
2010年4月18日 土樽~越後中里。
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カンジキを履いたあの季節がうそのよう。
すべてが冬眠から覚めたかのよう。
岩魚が走った。眼にも止まらぬ速さで。
大丈夫。竿は持ってないよ。
電車が鉄橋を渡ってしまうと水の音。
2010年4月18日 土樽~越後中里。
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車を止めて歩いてみよう。
地元のお母さんと挨拶をし今日の晴れの陽をにこやかに。
雪が消え待ちに待った春の陽。
軒先では、タイヤの履き替えに忙しい。
田んぼもトラクターが入り田起こし。
冬のあいだ出来なかった囲炉端会議もそこかしこで。
まもなく桜も・・・。そんないっときのしあわせ。
2010年4月18日 塩沢~上越国際スキー場前。
残雪の地に梅咲く。
冷たい雨の中、いつものように列車は過ぎる。
暖かくなることに戸惑いを感じ、梅の木は雨を享ける。
ひと雨毎に、散り際に心を刻み。
新生なった機関車の風を受け。
2010年4月7日 石打~越後湯沢。
春の陽の中、冬鳥越には昭和が佇む。
乗ったことも無ければ、実は見たことも無い。
廃線跡には、名残の築堤。そして春の陽。
誰もいない汽車の中。
眼を閉じると、築堤の上を行く・・・。
窓を開けると、つり革を揺らしジョイントを刻む。
土の匂いが、鼻腔を通り抜け、春だったことを知らせてくれる。
2010年4月9日 冬鳥越。
心の中を覗くと。冬の景色が留まろうとしている。
もう、4月だよ。
内なる〝ケ〟を払拭するのは自分だ。
そう大丈夫。
やがて春の陽に包まれる。
2007年1月3日 石打地内。
水上の鉄橋を望む。
此処は前まで小さなスキー場があった所。
スキー場といっても小さなロープトゥーだかリフトが1基ある、本当に小さなスキー場。
子供のソリ遊びにもってこい、そんなところだった。
それでも、最盛期には休みになると結構の人出で賑わっていた。
10年ぐらい前に閉鎖されて、ここがスキー場だったことなんて、景色を見ても気づかないかも。
あの頃だって、オフシーズンにはゲレンデは畑だったもの。
幼稚園に通う息子を連れてきたスキー場。
小さなスキー場。
息子は晴れてこの春、高校へ入学する。
ゲレンデでソリに乗ったり雪遊びをして、はしゃぐ息子の笑顔がビデオに残っている。
「一緒に見るかい?・・・」。
照れくさいだってよ・・・・・。
小さかった息子・・・小さなスキー場で・・・。
2009年12月28日 湯檜曽~水上。
春が近くまで来ている、たぶん。
あと何度かの名残雪が降ることはあっても、すぐに融けるだろう。
出来ればそうあってほしい。
春よ早く早く。
15の頃に嗅いだ懐かしい匂いをつれて来い。
2010年2月24日 見附~帯織。
茂倉新道をたどって矢場の頭そして茂倉岳。
蓬沢をつめて蓬峠。
万太郎沢・・・。
たくさんの岳人がこの道を通って谷川へ向かった。
あるいは遭難の報せを伝えるべく駆け下って来た。
この先の尾根で風を見たのは遠い昔。
風の固まりは、まるで固形物のようだった。
正直怖かった。
目印の竹ざおをザックに挿した3人組が通り過ぎた。
話し声を弾ませて。
どうか無事で。
2010年2月20日 土樽~土合。
右の築堤を駆け下りる姿が見えたかと思うと、鉄橋を控えめなジョイント音を響かせ、
冬の真昼間に貨物が行き過ぎる。
雪原には昨夜の足跡ひとつ。
青空は国境の向こうに続いている。
遠くからスキー場のBGMが風に乗って聞こえてくる。
2010年1月20日 土樽~越後中里。
秩父鉄道を撮りに行ったのは久しぶり。
高校へ入学し暫らくした頃、長瀞から通っているひとりの友人との話の中で
彼の父親が秩父鉄道の保線の仕事をしていることを知った。
「ダイヤもらえないかなぁ」
「聞いてみるよ」
暫らくすると、原本は無理だけどコピーならいいと返事が返ってきた。
彼の父親が休みの日に合わせて長瀞の自宅まで行き、お礼もそこそこに近所の文房具屋へ行って、平日、休日のダイヤのコピーを取らせてもらった。
旧型電車やデキ、ED38・・・。
バイクに三脚をくくりつけ、カメラバックを背負って、いろんなところに行ったなぁ。
彼の父親が亡くなってずいぶん経つ。
いつもこんな風に一生懸命仕事をしていたのだろう。
「ダイヤ、ありがとうございました」。
2010年2月9日 長瀞駅。