もやが上がり、今日もまた熱い一日の予感。
田んぼの青稲も、太陽を浴び今目覚める。
此処へ来る途中の神社では、ラジオ体操のカードを首からぶら下げた子供たちの眠そうな目。
さぁ、一日の始まり。
元気良く。
一番列車の回送送り込みが往く。
元気良く。
2010年8月3日 石打~越後湯沢。
もやが上がり、今日もまた熱い一日の予感。
田んぼの青稲も、太陽を浴び今目覚める。
此処へ来る途中の神社では、ラジオ体操のカードを首からぶら下げた子供たちの眠そうな目。
さぁ、一日の始まり。
元気良く。
一番列車の回送送り込みが往く。
元気良く。
2010年8月3日 石打~越後湯沢。
夕立が去り、虫の声。
そして、今宵も良い夜を迎えた。
独り、月夜に身を置き、退屈紛れに煙草をふかす。
煙が蒼く見える。
鉄橋を渡る列車から見えた人影は光跡となって、かの地へ。
もう遅いよ・・はやくおやすみ・・・。
2010年7月27日 土樽~越後中里。
神聖なるお山。男体山。
龍が、明け始めた東の空へ帰ってゆく。
なので、帰ってしまった龍神様のご加護はあるわけもなく、
残された身には、魚の顔を見ることが許されない、ひたすら修行の一日でした。
今度は白装束でも身にまとってみようか・・・(修験者かっ)。
2010年7月19日 中禅寺湖。
国策、エネルギー政策の下、切り捨てられていった夕張。
先日、足尾へ行った折、ふと3年前に訪ねた夕張で見かけたポスターを思い出した。
北炭夕張のガス突出事故の日の朝、NHKのニュース。
昭和56年10月・・・。
サイレンが鳴り響き、次々と運び出される遺体。
その後、二次災害でもある火災を鎮火させるために、生存が確認されること無く
鉱内への注水により、事故は終わりを迎える。
ニュースは、まるで静止画像のような紅葉が始まった一見穏やかな夕張の山、そぼ降る雨の景色を伝えていた。
あの頃、北海道や九州からの炭鉱離職者がたくさん首都圏へ流れてきた。
当時自分の住む埼玉にも、友達のお父さんが炭鉱出身で、黒いダイヤ、金の卵
と呼ばれた時代を懐かしみ、話してくれた一説を今も忘れない。
2007年9月 夕張地内。
レトロとは呼ばない。
決して。
明治、大正、昭和・・・。
時代に翻弄されたのか。
田中正造の声なき声すら聞こえない。
今を生きるのみ。
平成の今。
2010年6月 足尾地内。
紫陽花は、紫それとも水色。
本当は水色が好き。
なので・・・。
晴れていて良かった。
水色は雨が似合うから。
2010年7月10日 大沢~石打。
背中から軽トラのエンジン音。
草取りに行くおじいさん。
挨拶を交わし、暫し蝉の声。
モーター音と共に貨物列車が通り過ぎる。
そんな昼下がり。
2010年7月10日 岩原スキー場前~越後中里。
今日一日が終わりだと
西の空がため息付いた
家路を急ぐ人の波
安らぎたちがお出迎え
ささやかだから愛しくて ささやかだから大好きで
笑うことが泣くことが
悩むことが生きることが・・・。
川辺に立ち残照を・・・。
川面に憂い、空を見上げる。
今日の終わりを雲が告げる。
2010年5月24日 塩沢地内。
背中の山がゴウと鳴く。
冬の枝を切る高音ではなく、初夏の葉ずれの〝ゴウ〟。
風が止むと谷渡りの一声。
日陰のふきのとうは芽吹いたばかりなのに。
はくたかの羽音が田んぼの水の上を渡って聞こえてくる。
2010年5月15日 石打~大沢。
ダイヤグラムを何度も見る。
音も無く彼方に列車は走る。
だから・・・。
風が吹き抜けるだけ。
2009年6月1日。 岩原スキー場前~越後湯沢。