ゴナナに見えるのは錯覚か・・・・・・。
2011年8月12日 福用~大和田。
ゴナナに見えるのは錯覚か・・・・・・。
2011年8月12日 福用~大和田。
夏の日差しを浴びて蒸気が行く。
震災に心痛ませて。
あの頃、遠く知らない東北の地に、煙が残っていた事だけは
知っていた。
ただ知ってた・・・。
たまたま静岡に用事があり訪ねることが出来た。
もちろん再訪ではない。
でもなぜか、心の片隅にUターンではない何かが残った。
蒸気機関車にノスタルジィを感じるのは、自分が鉄道が好きだからかもしれない。
さしずめIターンか・・・。
初めての・・初めての大井川鉄道。
2011年8月12日 福用~大和田。
久しぶりの魚沼。
大気の状態が不安定で、数時間後には雷雨。
いつもの場所ではくたかを見送る。
青稲のコシヒカリよ、雨を受けてすくすくと・・・。
今、夏を謳歌して。
2011年7月25日 石打~大沢。
連日の真夏日。
線路のバラストの埃が混じった匂いやレールの鉄臭さ。
そして草いきれの匂い。
中学生だった自分は宮浜の傍らでいつも嗅いでいた。
あの頃の汗と同じ。
いつだって、いつだって・・・。
2011年7月15日 折原~寄居。
梅雨明けが昨日だったとテレビや新聞が告げる。
記憶と記録を紐解いてみると、一昨年の今頃は此処へ来ていた。
どんな気持ちで山を登ったのだろう。
くすむ心の中、燦燦と降り注ぐ太陽の下の景色を願っていたのだろうか・・・。
今も夏の日に願い続ける景色は、気持ちよい汗が腕の先、血管が浮き出る手前、手との間の関節あたりにちょうど玉のように毛穴から噴出す時間。
人差し指で汗をはじく。
汗が地面へと落下する。
あぁ気持ちよいと・・・。
空を見上げる。空を見上げる。
2009年7月11日 石打~大沢。
戦時中東松山駅西にある、今は外資系企業になった工場へ勤めていたという
おじいさんとしばしの話。
当時作っていた戦車のエンジンはディーゼルだった。なぜなら、ガソリンに比べて
気化性が低く、装甲を破損してもすぐには爆発しないからだそうだ。
戦争末期には、ドイツの潜水艦のエンジンも関係していたようなことも語っていた。
また、当然のことながら工場も空襲を受けて、トイレの窓から見る松の木に
機銃掃射の弾跡が戦後しばらく残っていたとも話しておられた。
懐かしそうに、穏やかに・・・おじいさんは鍬を片手に、畑へ向かって行った。
「よい写真が取れますように」
「はい、ありがとうございます」
「なに、あんたが東松山だって言うから、つい懐かしくて・・・」
「いえこちらこそ、ありがとうございました。
「それでは」
「それでは」
そういえば、外資系企業は今、ドイツ資本のメーカーだっけ。
もちろん自動車の燃料ポンプを造っている訳で、潜水艦ではないけれど・・・。
昼下がり・・・。しばらくして、キハがディーゼルエンジンも軽やかに下っていった。
2011年6月8日 寄居~折原。
今朝の天気予報。
だんだんと北のほうから晴れ間がのぞいて来るでしょう・・・。
天気予報どおり。
雲が動き薄日が差してきた。
東武東上線・・・明治末期に計画を発し大正時代に遠く児玉、高崎、渋川までの北関東上州へ繋ぐ計画であったため東京と上州という意味合いで東上線となったそうだ。寄居以北は八高線の開業に伴い中断した経緯がある。また2期計画では今の上越線と同じ長岡までの計画があったというからさらに驚きだ。
ひょっとしたら、三国の分水嶺を越えて魚沼の地に5700やDRCが・・・。
まぁ、日光みたいに国鉄とつばぜり合いをする東武だからその時はどうなっていたことか。
なんてね。
2011年6月8日 東武竹沢~男衾。
天気がよさそう?。
朝起きてみるとドピーカンではないけれどとりあえず行ってみる。
いつものようにデキがやってきた。
それにしても、花粉症が辛い。
雨もまた恋しからずや。
2011年6月3日 武川~三ヶ尻。
秩父峰は父なる姿、荒川は母の想い出・・・♪ 。
高校の校歌に唄われた景色。
あの頃の仲間は一生だね。
みんな元気かい・・って、先週も逢ったけど。
2011年4月24日 波久礼~樋口。
荒川を望む。
波久礼の喉を過ぎていよいよ平野へと奔流する。
戦国時代の名山城。鉢形城はこのすぐ下。
北条氏に対する小田原攻めの際、前田利家や上杉景勝らの連合軍により包囲され
1ヵ月の篭城の末、開城したと言われる。
まさに、要害だったのだろう。
左に眼をやると今の時期にしては雪の多い男体山が見えた。
裏の尾根を越えれば赤城から榛名、浅間だって見えるはず。
そして秩父の重厚なる山塊が・・・。
本当にはじまりなんだな・・・。
2011年4月20日 鉢形~玉淀。