石打駅。

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初めて石打のバルブ撮影をしたのは中学2年の夏休み。
その後幾度と無く訪れた思い出深い駅。

ダイヤ改正や合理化、機関車の性能向上で、あの頃のような写真は取れなくなってしまったが
それでも何か事あるごとに駅に寄ってしまう。

この写真は高校2年の時、文化祭の代休で来たときのものだ。
1979年9月24日と記録がある。

列車進入を知らせる独特の警報音が今でも耳に残っている。

日中線。

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喜多方から熱塩までの客車の中、車内検札で補充券に鋏を入れてくれたのは若い車掌さんだった。

熱塩駅は、記念館となり残っていた。

傍らに客車が保存されていた。
ペンキを塗りなおしたばかりなのか、揮発性の塗料の匂いが
まだ残っているようだった。

夏草が生い茂る夏の日の夕暮れ。
蒸気機関車のブームが去った駅には、
虫の声と、時々そばを通る車の音だけがしていた。

茶色い客車から窓を開けた、昼間の草いきれと夏の夕方の匂いが混ざり合っていた。

会津の先生。

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秩父困民党のことを知ったのは今から25年ほど前のこと。

大河ドラマで、戊辰戦争の生き残りとされ登場する”会津の先生”。
実在したかというと名前も明らかではないが、確かに会津から来た人物がいたそうだ。

自由民権の旗印の下、関東一斉蜂起を夢見て散っていった人々。
新式村田銃の洗礼を受け遠く信州の地で果て、
その後遠く北海道の地まで下った人もいたという。

会津鶴ヶ城の容保公の肖像写真を見るたび想う。
果たして、望みは何であったのかと。
時代こそ過ぎたが、おそらく、秩父の人々とどこか同じ思いではなかったのかと。

その頃、会津を旅したとき、ふと立ち寄った田舎の雑貨屋で、米や味噌を頂き野宿し続けたことを思い出した。
素朴な中に強さを秘めた人だったように記憶する。

旅の途中、会津川口駅で汽車を降りたのは遠い昔。

ちょっと寄り道。

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「181」が来ない上越線なんて・・・。

むかし、駅寝(マルヨ)した大沢駅。新潟色の115が滑り込んだ。
アズキに黄色じゃないけれど・・・。

高台から線路越しに見た越後三山が蒼くかがやいていたのは、いつの事だったか。
山影を縫って朱鷺のヘッドマークも誇らしげに。

今でも傍らでは、人知れず水芭蕉が白い姿を、あの時と変わらぬままに・・・。