綾戸のダムを渡って反対側へ。
急行佐渡転覆の場所といったほうが判るだろうか。
1977年3月のことだった。
暫らくのあいだ岩本駅でブルーシートを掛けられた165がいたのを何度か見ている。
なぎ倒された架線柱の基部コンクリートが一本だけ新しくなったのも鮮明に記憶している。
1979年10月 津久田~岩本。
綾戸のダムを渡って反対側へ。
急行佐渡転覆の場所といったほうが判るだろうか。
1977年3月のことだった。
暫らくのあいだ岩本駅でブルーシートを掛けられた165がいたのを何度か見ている。
なぎ倒された架線柱の基部コンクリートが一本だけ新しくなったのも鮮明に記憶している。
1979年10月 津久田~岩本。
雨の大宮駅。
こんなのも走っていたんだ。
へぇー。撮ったことすら忘れていた。
1979年9月 大宮駅。
ダイヤグラムを何度も見る。
音も無く彼方に列車は走る。
だから・・・。
風が吹き抜けるだけ。
2009年6月1日。 岩原スキー場前~越後湯沢。
きょう最後の日を浴びて。
はくたかは終着を目指す。
山の上から、トーキーの映を見るように過ぎる一瞬。
田んぼの土の匂いが風に乗って届いてくる。
はくたかが遠くで羽を大きくはばたくと。
暫しの、休息の地へもう少し。
2009年6月1日 石打~越後湯沢。
雨に濡れる構内。
コンプレッサーの音も、汽笛も、そして警戒音すらすべて雨の幕に包まれる。
いつものように連結、そして出発を迎える。
折り畳み傘のつばを少し上げるとテールライトが雨にけぶり彼方に去っていった。
1979年9月 石打駅。
今度は文化祭の代休がらみでいつもの上越線へ。
あいにく天気が優れなかったのを覚えている。
まずはいわっぱら、そして大沢。夜はもちろん石打!。
181を駆逐したとはいえ、やっぱり「とき」。
棺おけ電車などと揶揄されたが、耐寒装備の1000番台は決して嫌いな車両ではなかった。
ヘッドマークの絵も似合っていたように思う。
先日31年ぶりに、此処へ立った。
雪に隠れた畦の水路枡に落ちるというおまけ付ではあったが・・・。
季節は違えどもなんとも懐かしい風景。
杉の木がずいぶんなくなっているのがよく分かる。
・・・よーく手前の雪を見ると穴が開いています・・・とほほ。
1979年9月 越後中里~岩原スキー場前。
1979年9月 大沢~塩沢。
2010年4月18日 大沢~上越国際スキー場前。
この頃、絵入りヘッドマークが台頭してきた頃だと思うが、中にはどうにもデザインが好きになれないものもあったりして。
白地に黒のシンプルさに比べ、似合うものと似合わないものとがあったと思うのは自分だけだろうか。
白山に至っては、その後の車両塗装変更を見るにつけ愕然としたのを覚えている。
まぁこの頃はJNRマークに特急色。横から見れば何のことは無い。
下の写真のロクニは、後のパンタがPS22に改造されている。
なんで片方なの・・・。
記録としてはいいのだが・・・。
ちなみに残念ながらこの撮影場所も定かではない。(たぶん黒姫あたりかなぁ)
1979年9月 信越線内。
一見、複線の後追いかと思いきや、実はあたまを撮っている。
右の線路はバラストも新しく、後にモーターカーも写っている。
つまりこの頃、複線工事中であった。
藪を掻き分け撮ったのを記憶している。
この写真もどこかはっきりしない。
たぶん新井かどこかであろう。
1979年9月 信越線内。
ひとり佇もう・・・こんな夜は。
そして、手を合わせよう。
彼方を行く列車の光跡はジョイント音しか聞こえない。
行ってしまえば、はらりと花が散る。
2009年4月17日 越後湯沢~石打。
境内には桜の木。
明日はここで集落の人々が集まるそうだ。
花見で一杯かぁ・・・。
夕方の淡い陽射しに、桜は明日の〝ハレ〟の日を楽しみにしている。
今宵、ひとり野宿で一献傾けよう。
独り前祝。
2010年4月28日 塩沢~上越国際スキー場前。