会津へ。

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高校生活最後の夏休み。

 

721Mで小出へ着いた。

急行奥只見が待っている。

 

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ネガを見ると、この列車に乗り途中の越後須原で降りた。

 

駅前の写真が残っている。特に何を見たわけでもなく駅前を散策したようだ。

そして後続の鈍行に乗り、寝られそうな駅を確認しながら会越国境を越え会津大塩で降りた。

 

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一泊めの駅、決定。

夜半雷がすごく蚊取り線香の煙の中寝たのを覚えている。

 

途中で降りても後続の列車があったんだね。

今だったら急行はおろか直通すら少なくなってしまい、移動するのにも一苦労。

 

 

1980年7月                       小出駅及び只見線内。

 

石打丸山の下で。

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今とあまり変わらない景色。

 

ハッカ石のマンション群が無いのと丸山の下の民宿も少ないかな。

 

 

このあたり、今日のニュースでやっていたが、大雪だそうだ。

降り過ぎもねぇ・・・。

 

 

1980年5月                  石打~越後湯沢。

 

キハ35 900番台。

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埼京線じゃないよ。川越線。

 

今、築堤の先向こうは電車基地になっている。

 

 

ステンレスに朱の帯だったのかなぁ。モノクロだとなおさら判らない。

 

 

1980年5月                      指扇~南古谷。

 

あけぼのでおしまい。

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この時のネガを見ると、ゴハチと65ばっかり。

あけぼのだって2本あったし。

ゴールデンウィークで臨時もあったし。

 

正にゴールデン!。

 

5月のホームは寒かったなぁ。

さぁ片岡に出発だ。

 

 

1980年                       宇都宮駅。

 

ゴールデンウィークで宇都宮。

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新幹線工事の本格化した宇都宮。

 

新幹線が出来たら在来線がどういう状況になるのか・・・。

漠然とした思いがあっても、実感は無かった。

 

機関車は牽引する客車や貨車が無ければ意味を成さない。

たとえ機関車自体の寿命がまだまだであったとしても、それらが無くなれば解体されてゆくだけ。

 

車齢が尽きてお陀仏なのか

新生機関車登場相成ってお陀仏なのか。

どっちでもなくお陀仏。

 

 

考えてみると新幹線って残酷なものかもしれない。

一部の人々の高速移動のための乗り物。

そんなに早く移動することが本当に必要なのか。

在来線はどうなった。

其処に住まう人々は本当に便利に快適になったか。

 

新幹線の車窓から眺める景色は一瞬過ぎやしないか。

軒先の洗濯物がゆれるのも、小道に遊ぶ子供らも、工場の昼休みに憩う作業服の彼らも・・・。

ほんとうにあっという間に過ぎてしまう。

 

新幹線の高架下には在来線が陽を浴びずかろうじて生きている。

歩廊は寒いんだよね。

 

 

1980年5月                          宇都宮駅。