EF571・シルエット。

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秋の陽はつるべ落とし。

稲刈りが進む田んぼ。

夕暮れ時1号機が団臨を牽いて下ってゆく。

 

夏が過ぎ、あっという間に今の季節。

沈丁花が香ったかと思う間も無く稲藁の乾燥した匂い。

 

なんとなくせつなくなるこころ。

 

1976年10月  東大宮~蓮田。

 

津久田から岩本で。

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津久田の駅を降りる。

 

県道を歩いて棚下まで。

撮影地ガイドの略図だと近そうに感じたのだが結構遠い。途中短いトンネルもあり

中学生の小僧は肝を冷やす。着いたところは真下に川がぶつかる断崖のカーブ。

三脚を立てるとたまに来る車がびっくりして通過するほどの狭い道路。

 

 

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数本の列車を棚下で撮るも、ポールの切り位置や編成が入らなかったりで、また駅まで歩いて戻る。

 

駅近くで「とき」やらローカルを撮る。

手持ちで先頭を撮りそして後追い。新潟側が原型窓だ・・ということは返しの下りローカルは当然こいつ!。

 

さぁ鉄橋を歩いて渡らなければそのお立ち台には行けない。

網の目の下は・・・うーん高い。目が回るよう。

 

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たどり着いたのは此処。

曇ってきた。露出がきつい。

何枚も撮らずにさぁ撤収。

またもや鉄橋を渡らなければ駅に戻れない。

クワバラクワバラ。

 

1976年9月 津久田~岩本。

 

高崎駅・新潟ローカル721M。

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宮原から籠原で接続乗り換えをして、そして高崎へ。

 

朝日がまぶしい。

 

さぁ721Mに乗って津久田へ。

カメラバックには鉄道ダイヤ情報 「上越線特集」の津久田~岩本撮影地ガイドのコピーが

入っている。

 

はたしてどうなることやら。

 

 

1976年9月 高崎駅。

 

新清水トンネルの風。

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苔むした風が一瞬、草木を揺らす。

 

モノクロの撮影場所は今の関越道の法面当たりか。

魚野川を素足で渡り斜面まで這い上がった。

あの夏の日も暑かった。

 

今日は此処へ来るまで何本のペットボトルを空けたことか。

たまらず魚野川の水で顔を洗った。

 

 

冷たかった水と暑さがあのカラカラだった夏の日をそして風を想い出す。

 

 

1976年8月

2009年6月27日  土合~土樽。

 

EF57・宮浜・102レ。

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これぞ宮浜。

 

AM定番ポイントといえばこれでしょう。

この日はざっと20人ぐらいのファンがここから左へ線路までの間にカメラを構えていた。

 

みんなどうしているのだろう。

自分のようにその後「鉄」ををやめてしまった人もいるだろうし、現役で続けている人もいるだろう。

 

いつか、宮浜で同窓会でも開いてみようかしら・・・なんてね。

 

 

1976年8月  東大宮~蓮田。

 

EF57・電基地で。

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東大宮にて。

塀の上に一人、その先の架線柱の影に一人。

 

 

昨今、山の世界では空前の百名山ブームらしい。

深田久弥が定めた日本の100の山々。

 

そもそも登山という行為は登山者各人によって登られるものだし、そこで感じる感動の種類や感性の

違いがあるのは当然だ。

もちろん季節に合わせて色々な山に登っても良いし、ひとつの山に通い続けるのも良いであろう。

登り方も、岩登りでも良いし沢登りでも、そして縦走でも、それぞれ各人の好みである。

そういう意味では、バリエーションルートの開拓にも一理ある。

 

但し、ひょっとして、山岳雑誌のきらびやかなグラビアに載っているとおりの場所やそしてお決まりのルートでしか

山に行ってない人も大勢いるのだろう。

さらに中高年の金にものをいわせた、コンパスと地図を持たない不安全登山を見事敢行している人も。

 

はたして、パイオニアワークの精神を持って山と対峙することが、どれほどの発見と感動を

感じることが出来るか知っているのだろうか。

100名山は山そのものとしては、あくまで人の選んだ100の山でしかない。

いってみれば10名山でも1000名山でも何ら数の限定であって根拠は選定者本人の

決まりによって選ばれただけなのだ。

 

つまり、どんなにかっこ悪くても、自分が納得できるテーマを自らひとつ決めてそれが

創造的であるか自問自答する。そうすれば自分の山登りが出来ると思うのだが。

 

 

当時兄貴がよく言っていた言葉

「兄弟で同じところに撮影に行って隣に三脚を立てて撮ってもつまらないだろ」

「自分で場所探しして撮ったほうが面白いぞ」

 

同じ趣味をしていても一緒に肩を並べて撮った記憶があんまり無い。

 

塀に上には珍しく 兄貴!

 

1976年8月  東大宮操車場。

 

EF57・宮浜・8401レ。

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太陽を背負い北上する。

武蔵野の雑木林の昼下がり。

 

東海道で特急を牽き、上越で雪にまみれ、今、武蔵野の地を疾走する。

 

上野から大宮へそして黒磯へ。今はそこが北限。

上越だったら、東海道だったらもっと遠くに行けるのに・・・。

 

雑木林や田圃を左右に見てその道をいつものように通う彼等。

 

もう間も無く終焉のときを迎えるであろう彼等。

相模灘の夕日や谷川岳の残雪を眺めたあの頃が去来し眼に浮かんでいるのだろう。

 

夏の日の草いきれが今の匂い。

 

1976年8月  東大宮~蓮田。

 

EF57・宮浜・6101レとフジカST801。

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夏休みも終わりに近づいてきた。

定番ポイントを行くゴナナ。

 

この頃のラインナップは、フジカST801・50mmと135mm。

 

クリーニングペーパーとシリコンクロスそれにプロアは欠かせない。

撮影から帰るとすぐに掃除をして、レンズも、ボディもいつもピカピカだった。

 

しかしその後の下取りの繰り返しで当時の機材はほとんど残っていない・・・。

 

でも・・・・・。

 

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あるんだなこれが!

先日中古ショップで手に入れた801。

当時の姿そのままに、完全稼動品。

ダイオードも光るし、レンズもバッチリ。

だってEBCフジノンだもの。

銀塩カメラ、捨てたものじゃないねぇ。

当時の記憶が甦る。

 

さぁきれいにしなくっちゃ。

 

1976年8月  東大宮~蓮田

2009年6月  自宅(フジカST801)