列車は行く、時間を惜しむように。
西の陽が今日の終わりを伝えに来た。
さぁ急げ、さぁ・・・。
2009年9月6日 上越国際スキー場前~塩沢。
列車は行く、時間を惜しむように。
西の陽が今日の終わりを伝えに来た。
さぁ急げ、さぁ・・・。
2009年9月6日 上越国際スキー場前~塩沢。
初めての蒸気機関車。そして最後の蒸気機関車。
前にも一度ここでは紹介したが、梅小路に保存されると聞いて懐かしくて。
小学6年生の精一杯がここにある。
兄貴はその後、只見や北海道へ行ったけど、自分はまだそれだけの勇気と気持ちが無く、
その後ゴナナを追いかけだして・・・。
つまり自分の現役蒸気機関車はこれだけ。
1969年、家から川越線が見えるところに引越し住んでいた。キューロクが牽く貨物や朝夕1往復の
7両の雑客も毎日のように見てた。
線路に10円玉を置いたり、石炭を拾ったりもし遊んだ。
それ以来の蒸気機関車だったのだ。
いまさらながら一緒に連れて行ってくれた兄貴には感謝している。
今月発売の「国鉄時代」第一巻復刻版のゴナナ。
兄貴の足跡が誇らしい。
1974年5月 日鉄羽鶴鉱業専用鉄道。
思川と書いて字の通り「おもいがわ」。
ゴナナ無きあとデッキ付きといえばこのEF12でしょう。
両毛線にやってきました。
しかし、ろくなカットが無く駅撮りで失礼。
良かったのは駅名だけ・・・。
1977年4月 思川駅。
色づき始めた田んぼ。
暑さはあれど風が吹くとどこか秋を感じさせる。
さっきからトンボが目の前を行ったり来たり。
遠くから貨物列車がやって来るのが見える。
トンボの眼鏡も稲穂色。
2009年9月2日 堀之内~北堀之内。
村々はまだ雪の中じっと春を待っている。
雪の層が今年降った雪の日を思い出させる。
線路の雪はもう解けた。
春はすぐそこだよ。
1977年3月 六日町~五日町。
雪晴れの中つるぎを牽くEF81。
今日(2009年8月30日)見た81はくすんでいた。
日本海の荒波を受け日々仕事をしてきた結果、それとも手入れをするべく状況が無いのか。
それにしてもヘッドマークがあればなぁ。
1977年3月 前川~来迎寺。
ホームの駅蕎麦屋は、谷川岳へ向かう登山客やクライマーでこんな時間でも大盛況だ。
バルブ撮影をしてから行くと売り切れ。
土合駅から始まるいきなりの登高のエネルギーになるのかな。
シュリンゲに吊るされたカラビナが鈍くひかり、乾いた金属音を響かせる。
ザックの雨蓋からのぞくザイルの赤、そしてヘルメットの傷がかっこいい。
こっちだって銀箱のこすれと三脚の傷がかっこいい。
俺の明日の活力はだるま弁当だ。
ゴハチの35番が牽く「天の川」が733Mを追い抜いてゆく。
1977年3月 高崎駅。
乗り継いだ先、青梅駅にはクモハ40が待っていた。
無骨で正義を貫く父親、そして何よりも昭和の気概を持ち戦後を生き抜いたあの人。
8月15日は父親の命日。
戦争が激しくなる頃、新潟から東京は大森へ丁稚奉公に出た。
あの京浜空襲の中、大八車を牽き奉公先の機械を運び出した。
グラマンのパイロットは機銃掃射を浴びせ、ドブ板に倒れこんだ彼のすぐ脇、
銃弾を機械に貫通させ飛び去った。
ドブから這い上がった彼の顔は、汚れていたのではない。
たぶん生きていることに顔を歪め何かしら笑っていたのだろう。
生きるか死ぬか。自らの意思において決定できない時代が身近にあった。
無骨な茶色の電車を見て8月のあの日を思い出した。
1977年3月 青梅駅。
杉林を抜けると、いい樹液の出る椚があるんだ。
ほら列車が来るよ。
夏休みもあと僅か。
日焼けしたおにいちゃんと後を追いかけるおとうと。
夏休みがずうっーと続けばいいのに。
兄貴元気か。
2009年8月25日 五日町~六日町。
六日町を出て上越線と別れ左に大きくカーブする。
とたんに夏の日差しが窓から差し込む。
各々一斉にカーテンを降ろす。
ほら右側!
今日は山が綺麗に見えているよ。
2009年8月25日 六日町~魚沼丘陵。