日鉄羽鶴鉱業の想い出。

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初めての蒸気機関車。そして最後の蒸気機関車。

 

前にも一度ここでは紹介したが、梅小路に保存されると聞いて懐かしくて。

 

小学6年生の精一杯がここにある。

兄貴はその後、只見や北海道へ行ったけど、自分はまだそれだけの勇気と気持ちが無く、

その後ゴナナを追いかけだして・・・。

つまり自分の現役蒸気機関車はこれだけ。

 

1969年、家から川越線が見えるところに引越し住んでいた。キューロクが牽く貨物や朝夕1往復の

7両の雑客も毎日のように見てた。

線路に10円玉を置いたり、石炭を拾ったりもし遊んだ。

それ以来の蒸気機関車だったのだ。

 

いまさらながら一緒に連れて行ってくれた兄貴には感謝している。

今月発売の「国鉄時代」第一巻復刻版のゴナナ。

兄貴の足跡が誇らしい。

 

 

1974年5月  日鉄羽鶴鉱業専用鉄道。

 

春の日差し信濃川を渡り。

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雪晴れの中つるぎを牽くEF81。

 

今日(2009年8月30日)見た81はくすんでいた。

日本海の荒波を受け日々仕事をしてきた結果、それとも手入れをするべく状況が無いのか。

 

 

それにしてもヘッドマークがあればなぁ。

 

 

1977年3月   前川~来迎寺。

 

733Mに乗って。

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ホームの駅蕎麦屋は、谷川岳へ向かう登山客やクライマーでこんな時間でも大盛況だ。

バルブ撮影をしてから行くと売り切れ。

土合駅から始まるいきなりの登高のエネルギーになるのかな。

 

シュリンゲに吊るされたカラビナが鈍くひかり、乾いた金属音を響かせる。

ザックの雨蓋からのぞくザイルの赤、そしてヘルメットの傷がかっこいい。

 

こっちだって銀箱のこすれと三脚の傷がかっこいい。

俺の明日の活力はだるま弁当だ。

 

ゴハチの35番が牽く「天の川」が733Mを追い抜いてゆく。

 

 

1977年3月  高崎駅。

 

春の雨上がり、青梅にて。

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乗り継いだ先、青梅駅にはクモハ40が待っていた。

 

無骨で正義を貫く父親、そして何よりも昭和の気概を持ち戦後を生き抜いたあの人。

 

 

8月15日は父親の命日。

戦争が激しくなる頃、新潟から東京は大森へ丁稚奉公に出た。

 

あの京浜空襲の中、大八車を牽き奉公先の機械を運び出した。

グラマンのパイロットは機銃掃射を浴びせ、ドブ板に倒れこんだ彼のすぐ脇、

銃弾を機械に貫通させ飛び去った。

 

ドブから這い上がった彼の顔は、汚れていたのではない。

たぶん生きていることに顔を歪め何かしら笑っていたのだろう。

 

生きるか死ぬか。自らの意思において決定できない時代が身近にあった。

 

無骨な茶色の電車を見て8月のあの日を思い出した。

 

 

1977年3月  青梅駅。

 

踏切を渡ってクワガタ取りに行こうか。

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杉林を抜けると、いい樹液の出る椚があるんだ。

ほら列車が来るよ。

 

 

夏休みもあと僅か。

日焼けしたおにいちゃんと後を追いかけるおとうと。

 

 

夏休みがずうっーと続けばいいのに。

 

 

兄貴元気か。

 

 

2009年8月25日  五日町~六日町。

 

八海山。

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六日町を出て上越線と別れ左に大きくカーブする。

とたんに夏の日差しが窓から差し込む。

各々一斉にカーテンを降ろす。

 

 

ほら右側!

 

今日は山が綺麗に見えているよ。

 

 

2009年8月25日  六日町~魚沼丘陵。