秋の日はつるべおとし。
あの夏の日にはまだ太陽が西に傾きはすれ、夕方の訪れの中それでも輝いていた。
四季の移り変わりといってしまえばそれまでだが、やっぱり秋は心が震える。
震えた心は、沈丁花のにほいと共に、初恋の頃を思い出す。
彼女と帰った道すがら、自転車のライトの発電機をヒュンヒュン鳴らして・・・。
ススキの穂・・・雑木林を通り過ぎ・・・。
2009年10月16日 岩原スキー場前~越後中里。
秋の日はつるべおとし。
あの夏の日にはまだ太陽が西に傾きはすれ、夕方の訪れの中それでも輝いていた。
四季の移り変わりといってしまえばそれまでだが、やっぱり秋は心が震える。
震えた心は、沈丁花のにほいと共に、初恋の頃を思い出す。
彼女と帰った道すがら、自転車のライトの発電機をヒュンヒュン鳴らして・・・。
ススキの穂・・・雑木林を通り過ぎ・・・。
2009年10月16日 岩原スキー場前~越後中里。
残照の中、国境の停車場に風が吹く。
鉄の擦れた匂いが通り過ぎる。
無人となった駅の待合室には、国境を越え茂倉新道を降りてきた登山者がひとり。
「良い山でしたと」満足そうに今日の一日を振り返り余韻に浸っていた。
眼をつむった彼のなか、念想はまだ山を駆け廻っているかのようだった。
「良い山旅を・・・さようなら」
さぁ、カメラを片付け、野宿でひとり一杯やろう。
2009年10月16日 土樽駅。
大好き181。
他のロングスカートが次々廃車になったこの頃、65番が来るとうれしかった。
ここ大成橋界隈は今では新幹線が出来て風景は一変した。
春の日差しがなつかしいなぁ。
1978年3月 大宮~宮原。
夕方の風は冷たくなって、薄着の肩が少し寒い。
自分もライトを点けて帰んなきゃハンドル捌いて。
「お帰りなさい」に向かって。
2009年10月12日 帯織~東光寺。
たくさんのポイントを渡って列車は終着駅を目指す。
分岐点をも過ぎ、いつしか最後の停車駅に止まるまで。
線路が曲がれば車体を傾け、鉄橋はゴウゴウ渡り、踏み切りのカンカンを一瞬に通り過ぎ
トンネルではライトを光らせ。
敷かれたレールをものともせず、ただただ真っ直ぐに前に進む。
行こうよ、次の駅へ。
2009年10月4日 長岡駅。
クロ151-10。
由緒ある正統派こだま型。
クロハを経てクハ181-65となってもロングスカートのまま、その精悍で端正な顔立ちは
最後まで残った旧151系の中で群を抜いていた。
やっぱりかっこいいねぇ。
1978年3月 大宮~宮原。
「とき」は一晩を関東の寒空の下を過ごし、再び暗澹たる地へと赴く。
関東の冬のからっかぜをものともせず、畑地を疾走し、大河を渡り、分水嶺の脊梁をくぐり
そして雪道へと向かう。幾度と無く繰り返す彼の勇気に「行ってらっしゃい」と手を振ろう。
かつてヒーローだったウルトラマンのエネルギー源は太陽光だった。
そう、こんな冬の陽の下でも。
1978年2月 大宮~宮原。
県南の大宮へ住んでいて高校進学の選択基準。
1 同じ中学の誰も希望しない学校。
2 電車通学が出来る学校。
3 都心ではなくローカル、出来れば電車の写真を撮るのに都合の良い学校。
ということで選んだのは熊谷。
なんたって、高崎線、秩父線、東武妻沼線の各線が撮影することが出来、尚且つ、上越、両毛、吾妻の各線のアクセスが良い。
決まりです。
当然、地元から通う生徒はいなく先生からも、なぜかと言われた。
願書を取りに行くのも、出しに行くのも、受験もすべて独り。
「からっかぜ」がコートの襟を立てる。
1978年1月 秩父鉄道 熊谷駅。
ゴハチの牽く121レに乗って小山へ、さらに両毛線に乗り換え大平下へ。
雪が降った翌日の北関東の朝はキンとして気持ちよい。
眼を上げると赤城や足尾山地は白く、足元の雪は表面が硬くなり中はサラサラ。
長靴の足は銀箱と三脚を提げ楽しく歩く。
三脚にカメラをセットし、やれヨッコイショと銀箱の上に座り、駅で買ってきたパンを頬張り
大平下駅前の自動販売機で買った暖かいコーヒーで一息つく。
1978年1月 大平下~岩舟。
なんで今ごろと。
EF56はゴナナの先輩?。
お爺さんに見えたあのプロフィール。
大宮駅で待っていると昼の荷41でSGを噴いていた・・・。
この2月から順を追ってモノクロ35mmを紹介してきたのだが、今日はEF56のカットへ逆戻り。
大宮駅の9番線を歩いていたら思い出したので・・失礼。
1975年1月 蓮田~白岡。