朝陽が昇り。

2010 01 13__2_0003_2.jpg

山際から昇った朝陽がようやく差し込む。

 

天気予報ははずれ朝は良い天気になった。

遠いところへもってきて雪に列車の音が吸い込まれ

すべるように列車は行く。

 

足踏みしながら列車を待つ。

気持ちの良い朝だ。

 

 

2009年1月13日                  越後湯沢~石打。

 

途中下車で。

197903_1_001_2fukiage.jpg

熊谷からの学校の帰り、行田で降りる。

そこから吹上へ向かって歩くとこのカーブに着く。

 

この日はオールグリーンが来るのでカメラを持っていったのであろう。

団臨などの情報はいろんな仲間がいて逐一入っていたので助かった。

 

今だったらこんなのが走ったら此処も大変なことになるのだろう。

置き三脚や罵声が無かった良い時代だった。

たぶんこの日も自分ひとりだった気がする。

 

そういえば早退だったのかなぁ・・・。

 

 

1979年2月            吹上~行田。

 

跨線橋で新雪を見送る。

197903_1_001_2kumagaya.jpg

熊谷駅の籠原寄りには踏切手による手動踏切があった。

すぐ脇には歩行者専用の跨線橋があり撮影が出来た。

 

2321レで熊谷に着く。

駅前に置いた自転車で学校へ。その前のひとコマ。

 

手前の影、左側には縦構図の手持ち撮影の自分が写っている。

 

 

今では新幹線も止まる大きな駅になり、当時の面影はかなり少なくなってしまった。

駅のホームに駅弁売りの売り子もいたっけ。

 

冬の陽射しは素適だけれど、これからからっかぜの中、学校まで自転車こがなきゃ。

高校1年の冬の土曜日。

 

 

1979年2月                 熊谷~籠原。

 

冬のデッキに・・・。

seikan001_2.jpg

さっき北海道から電話。

 

 

あの頃、ひたすらに、あの地を目指していた。

憧れ、それ以上の何かがあった。

忘れえぬ大切な時間。

今でもこの季節が来ると、止めども無く、慟哭にも似た想いや念想があたまと胸に鐘を鳴らす。

 

電話を貰わなかったらよかったかも。

しばれる体を温めることもできゃしない。

 

 

雪にかき消された床下の線路の継ぎ目のジョイント音が、今、胸の中でコロコロと運んでゆく。

遠い北の大地に。

 

 

おーい、おーい、おーいっ・・・。

 

 

                  北へ向かう列車のデッキ。 (ペンタ6×7・トライX・1984年1月)

 

会津と越後。

2010 01 02_0031_2.jpg

雪の中、列車が交換する。

 

 

その昔、六十里や八十里の峠越え、また阿賀野川の水運で人や物の行き来があったのが

越後と会津。

今の魚沼地方の小出や、蒲原地方の津川は会津藩領であったことはあまり知られていない。

また、戊辰戦争の折、長岡藩家老河井継ノ助が最後に目指したのも会津の地だった。

 

会津鉄道の車両は新潟トランシス(旧新潟鐵工)製。

越後の車両が会津で活躍する。

 

雪深いこの地で、ディーゼルエンジンの音がカラコロと、麻糸を紡ぐように繋がっている。

 

 

2010年1月2日               芦ノ牧温泉駅。

 

水上の鉄橋で3重連。

197902_2_003_3.jpg

来た来た・・・。

あっもう一両付いてる。

 

パンタは上がっているか・・うーん残念。

 

いわゆる死荷重回送。

それでもめったに見ることが出来ない貴重なひとコマ。

 

同時に切ったリバーサルは露出オーバー。

2丁切りしておいてよかったなぁ。

 

 

1979年2月        水上~湯檜曽。

 

米福型。

197902_2_002_2minakami.jpg

米沢から福島だから米福型と言うらしい。

もちろんその時代のことは知らない。

奥羽本線が直流?。

今では新幹線規格になってしまい、その前は狭軌の交流だったから、その前のことだ。

 

幸い豪雪地の勾配用という事で、その後、ここ水上機関区と長岡機関区に集中配備され

晩年を送ったのだ。

 

中でもヘッドライトや乗務員出入り口の上のヒサシが付いているものは一際異彩を放ち

人気を博した。

 

 

1979年2月                   水上機関区。

 

今年も上越・いわっぱらでしょう。

197902_1_003_2wappara.jpg

197902_1_001_2iwappara.jpg

岩原での2カット。

なんてったって当時の定番ポイント。

 

朱鷺にいなほなんて今考えてみても良い名前だなぁ。

 

銀箱持って三脚かついで駅から歩くのが昔。

汗かくと待ってるあいだ結構寒いんだなぁ。足はしもやけになるし。

ちなみに携帯カイロって知ってますか・・そう白金カイロ。家を出る前にカイロの芯に火をつけて

現場に付く頃にはあったかいのよ。

 

 

1979年2月                    岩原スキー場前~越後中里。

 

岩原の大カーブ。

197902_1_002_2iwappara.jpg

今年の3月24日に、此処、岩原の大カーブで鉄道写真再開のカットを撮り始めて早9ヶ月。

1974年からのモノクロ35mmのアーカイブも1979年2月まできました。

 

上越線が今以って大好きです。

 

 

春も夏も秋も・・・冬も・・・。

 

 

「鉄」復活元年に続く来年はもっと良い風景に出会えますように。 (本当は撮り直しが多かったりして) そして、もちろんいろいろな方との出会いも大切にしてゆきたいと思います。

 

 

 

1979年2月                   岩原スキー場前~越後中里。

 

ゲタ電、横浜線。そして八王子。

197902_1_001_2hachiouji.jpg

八王子にて。

 

どうやっていったのか。何を撮りにいったのか。

ネガの順番からすると、上越線に行った翌週のようだ。その次の週はまた上越線に行っているので

そのあいだの週ということは分かるのだが・・・。

高尾臨のDD51も写っているが、なぜ八王子なのか。まったく思い出せないカットです。

 

 

1979年1月                     八王子駅。