利根川が刻む河岸段丘の下の小さな集落。そこが棚下。
崖上をテーブル(棚)と考えればまさに棚の下にある。
此処、「津久田~岩本」間は最近はデゴイチの撮影場所としても有名なようだ。
集落の様子などはあの頃とあまり変わりない。
1979年3月 津久田~岩本。
利根川が刻む河岸段丘の下の小さな集落。そこが棚下。
崖上をテーブル(棚)と考えればまさに棚の下にある。
此処、「津久田~岩本」間は最近はデゴイチの撮影場所としても有名なようだ。
集落の様子などはあの頃とあまり変わりない。
1979年3月 津久田~岩本。
木製、プラスチック、アルミ。カンジキの種類です。
状況により使い分けしています。
登行が少ないのなら、断然木製。
それも、木の太さがしっかりしているもの。ある意味かっこいいんだな。
冬山をやっていると装備には事欠きません。
何よりも安全第一。
冬も野宿が楽しくなります。
2010年1月26日 土樽~越後中里。
岩原のカーブを望む。
午後になり、少し湿度が上がってきた。
やっぱり天気には逆らえません。
平標、仙ノ倉、万太郎、茂倉。朝日、白毛門。巻機、中ノ岳、駒、八海。
眼で追っているとそれだけでも飽きません。
2009年1月27日 岩原スキー場前~越後中里。
夜の河。
音も無く、綿帽子をすり抜け、限りなく透明な川の水が、ひとところに止まっているかのよう。
かろうじて、秋の落ち葉の色を川底に残し。
鉄橋を渡る汽車の窓から、一瞬、視線が止まる。
それでも、水は流れの中で動いている。
胎動が如く。
2009年1月26日 越後中里~土樽。
今はガードになってしまったが、その昔は、農耕車ならば通れる小さな踏切があった。
冬には閉鎖される小さな踏切。
あの頃だって手前の集落からはスパッツをつけてつぼ足で雪をこざいてここまで来たんだ。
今はカンジキはいてサクサクとここまで登って来る。
もう30年にもなるんだなぁ。
今年の1月1日の記事と同じ場所。
2009年1月24日 越後中里~岩原スキー場前。
編成美。
やっぱり特急急行はこうでなくちゃ。
昨今のJRときたら、本当にお客さんに乗ってもらおうと思っているのか疑問です。
多角化もいいけど本末転倒してはねぇ。
お客さんが乗らないから減車や廃止。その前にやるべきことは魅力ある列車(撮る側ではなくて)
の復活でしょう。 どこに何しに行く人が乗るの。こんな列車があったら乗りたい・・・。忘れていませんかねぇ。
廃線にしてしまった線路は本当に無駄だったのでしょうか・・・。
人員削減も本当に正しかったのでしょうか。
お客さんの声を聞くことが一番なのに、どこを向いているのか何処へ行くのか。
国鉄魂はどこへ行った。
1979年3月 大宮~宮原。
国境を小さな電車が駆け下りてきた。
今日最後の陽を浴びて。
親戚の人に連れて来てもらって初めてスキーをしたのが岩原。
家族でわらび採りに来たのが岩原。
彼女を連れてギンレイ体育館の脇の白樺の木をバックに写真を撮ったのが岩原。
181系「とき」の疾走する様を見送ったのが岩原。
子供たちをキャンプに連れてきたのが岩原。
時代が移り今日も此処に立っている。
眼を閉じるとありありと残光のように甦る懐かしい日々。
どうかその陽が消えませんように。
今日もスキー場の駐車場で野宿としゃれ込もう。
今日の一杯はまた格別だね。
2010年1月19日 越後中里~岩原スキー場前。
高崎線を撮りに行くと、こんなのも撮れた。
一番手前は大宮工場からの試験線。隣りが川越線。右の上下が高崎線。
家からバイクで10分ちょっと。雑木林もまだ残っていた。
このキハは千葉からの転属組。ココじゃステンレスの意味無いよなーと。
1979年3月 大宮~日進。
ロクニの貨物に15が付いている。
ジュウゴの貨物に62が付いているのか。
今となっては分かりません。あの頃は15も62も当たり前すぎて気にも留めなかった。
これも学校帰りかな。
1979年3月 吹上~行田。
山際から昇った朝陽がようやく差し込む。
天気予報ははずれ朝は良い天気になった。
遠いところへもってきて雪に列車の音が吸い込まれ
すべるように列車は行く。
足踏みしながら列車を待つ。
気持ちの良い朝だ。
2009年1月13日 越後湯沢~石打。