489・58・15.
当たり前の風景。
形式写真、7対3構図。
大宮周辺でも、こんな風に撮れたのが今となっては懐かしい。
このあたりは今、鉄道博物館や新幹線、埼京線の付け替えで大きく様変わりしている。
1979年5月 大宮~宮原。
489・58・15.
当たり前の風景。
形式写真、7対3構図。
大宮周辺でも、こんな風に撮れたのが今となっては懐かしい。
このあたりは今、鉄道博物館や新幹線、埼京線の付け替えで大きく様変わりしている。
1979年5月 大宮~宮原。
大宮周辺は直流区間。
なので、貨物といえば茶色いEF15は当たり前。
もし、交流区間が地元だったら当然違っていたかも。
こんなすれ違いも、いわば見慣れた風景。
かっこいいぞ。
茶色い電機。
あっ・・・ゴナナのイメージのすりこみ・・・。
1979年5月 大宮~宮原。
今は北上尾の駅のすぐ北側。
当時はこんな景色だった。
越前が重連になる情報が入ると良く通った。
バイクで30分ちょっと。
朝の空気が気持ちよい。
情報源の彼や仲間内で集まって朝から鉄道談議。
しかし結果は重連ということもあり緊張してかタイミングが・・・。
1979年5月 上尾~桶川。
春が近くまで来ている、たぶん。
あと何度かの名残雪が降ることはあっても、すぐに融けるだろう。
出来ればそうあってほしい。
春よ早く早く。
15の頃に嗅いだ懐かしい匂いをつれて来い。
2010年2月24日 見附~帯織。
白い石灰で書かれたスローガン。
危機管理という名を冠した、卑屈な低姿勢と事なかれ主義。お役所仕事然としか対応が出来なくなってしまったのは なぜだろう。
現場での判断が出来ない(させない)、やたら高学歴の頭でっかちしかいなくなってしまったのは なぜだろう。
—–新規採用を何年もせず、世代ギャップをつくり、現場を混乱させ、イエスマン体質の会社になってしまった。—–
気が付いたらJNRも無くなり、NRUも風前のともしび。
春闘・・・。これまた懐かしい響きとなってしまった。
ゴハチもロクニも・・・。
1979年5月 大宮駅。
いつもの朝。
カタカタカタカタッ・・・カタッカタ・カタッカタッ・・・・・。
輝きの後ろには10系寝台、雑客と続く。
宮浜の朝はそうして始まる。
ゴナナじゃないけどね・・・。
1979年4月 蓮田~東大宮。
下りホームは新幹線工事の頃で、ちょうど長岡駅の1番線ホームのようだった。
上りはこれまた、長岡駅に似て、昔の面影が残っていた。
電暖表示灯の無いゴハチが12系を連れてやってきた。
1979年5月 宇都宮駅。
ご存知、片岡。
那須連山をバックに583はくつる。
10年以上前、西郷村へ仕事で行った折、久しぶりに訪ねたが、あたりはすっかり
変わっていたのを思い出した。
もちろんその頃は「鉄」休業中だったが。
1979年5月 片岡~矢板。
茂倉新道をたどって矢場の頭そして茂倉岳。
蓬沢をつめて蓬峠。
万太郎沢・・・。
たくさんの岳人がこの道を通って谷川へ向かった。
あるいは遭難の報せを伝えるべく駆け下って来た。
この先の尾根で風を見たのは遠い昔。
風の固まりは、まるで固形物のようだった。
正直怖かった。
目印の竹ざおをザックに挿した3人組が通り過ぎた。
話し声を弾ませて。
どうか無事で。
2010年2月20日 土樽~土合。
右の築堤を駆け下りる姿が見えたかと思うと、鉄橋を控えめなジョイント音を響かせ、
冬の真昼間に貨物が行き過ぎる。
雪原には昨夜の足跡ひとつ。
青空は国境の向こうに続いている。
遠くからスキー場のBGMが風に乗って聞こえてくる。
2010年1月20日 土樽~越後中里。