新清水トンネルの駅。

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風が吹く。

 

湯檜曽の駅の待合室で寝ていると、通路を伝い風が轟音のようにやってくる。

おちおち寝ていられない。

独りでいると待合室が大きすぎて落ち着かない。

 

そんなあるとき、一の倉沢から降りてきたクライマーと駅の待合室で一晩を共にしたことがあった。

酒が無くなり、夜な夜な近くの酒屋へ行き、利根錦を買ってきて二人して飲んだ。

「店、もう閉まってますよ」

「大丈夫、いつもこうしているから・・・」

店の戸をドンドン叩き、寝ている店の人を起こして、酒を買う。

豪快な山ヤさんだったな。

 

去年の12月、湯檜曽駅が改修されている現場をたまたま見た。

もう、風は吹かないのかなぁ。

 

 

1979年7月                 湯檜曽駅。

 

湯檜曽ループを降りて。

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ループを降りて。

 

小学校の社会の時間で高低差を緩和するのがループと教わったような気がする。

今でも時刻表の路線図にはしっかりとループが記載されている。

案外とアナログなのがうれしい。

 

夏休みの上越線。

もやのかかった湿度の高い夏の日。

せみの声が聞こえてくる。

 

ペットボトルなんて無い頃。

何を飲んでいたのだろう。

 

 

1979年7月                       土合~湯檜曽。

 

はくたか、大成橋。

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毎度おなじみ大成橋。

 

まぁ地元ということで、暇があれば来ていたという感じ。

 

特急、急行、普通、貨物・・・。

まぁ次から次へと。

 

これは「はくたか」。

絵入りになると判りづらいヘッドマークでした。

 

 

1979年5月                     大宮~宮原。

 

とき、絵入りマーク。

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絵入りマークになって久しい。

この頃は既に4往復になっていた181。

100番台と180での運用と記憶している。

 

連結器むき出しの180はちょっと・・・。

100番台が来るとほっとしたものだ。

 

 

ところで此処は何処。

たぶん上尾~桶川ではないかと思うのですが。

間違っていたらごめんなさい。ちなみに判る方いらしたらご教授ください。

 

 

1979年5月                    上尾~桶川。(たぶん)

 

急行「能登」・・・石打の夜。

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1982年11月に上越新幹線が開通する。

 

在来線の栄華を誇った時代が終わろうとしている。

「とき」の全廃をはじめ、昼夜急行の統廃合が間もなく行われる。

能登もダイヤ改正後、信越回りとなり14系となる。

ロクヨンに牽かれるのももう少し。

 

石打駐泊所時代から脈々と国鉄の重要駅として、毎夜ホイッスルの音も高々に、東京と地方を

繋ぐ大切な結び目として機能してきた。

今日も「能登」が金沢から上野を目指す。

そう、裏日本から表へ。

 

上り列車の時代・・・。

高度経済成長を支えた人たち・・・。

 

 

時代が移り今年、ついに能登は定期運転を終了し、季節運転へと移行した。

 

 

——-能登終了に際し、かつての能登を偲び——–

1982年10月の上越線「能登」                  石打駅。   (マミヤプレス6×9)

 

とき、ボンネットでもう一枚。

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湯沢で30分停車があるのでゆっくり移動していつもの場所へ。

 

光線と木の按配からこの場所は好き嫌いがありそう。

個人的には、魚野川の様子と手前の木が好きなのだが・・・。

 

 

シールではない本物の新潟寄りヘッドマークを押さえようと思うと、この時間帯

撮れるところは限られるし、あまりに人の多いところは勘弁だし・・・。

 

 

結局此処は自分ひとり。

悠々と「とき」を見送ることが出来た。

 

また逢えるかなぁ。

 

 

2010年3月14日                越後湯沢~石打。

 

とき、ボンネットで。

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遠足はハレの日。

 

此処には約8名の同業者。

和やかな雰囲気の中、会話をする。

 

あっ来た来た!「とき」がやってきた。

いくつものシャッター音の中撮影するのは久しぶり。

たまにはそんな楽しみがあっても良いものだ。

 

 

やっぱり「とき」はかっこいい!。

ボンネットの「とき」を見たのは1982年以来、実に28年ぶりのことだった。

 

 

2010年3月14日                 越後中里~岩原スキー場前。

 

とき・ゆき。

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明日、489の「とき」が走るらしい。

そう、ボンネット。

 

489・・485・・・・・。

181ではないけれど、今、この時分になって、緊張するのはなぜだろう。

ちょうど遠足に行く前の晩のよう。

 

 

C220のファインダースクリーンには雪の結晶が降って来る。

 

 

雪煙・・・まぼろし・・・。

明日は「いわっぱら」かなぁ。

 

 

1980年12月                 岩原スキー場前~越後湯沢。  マミヤC220にて。

 

EF58の2321レ。

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通学列車。

そう、高校に通うのに、当時、数少ない下り列車。

2321レ。

宮原を、朝の6時45分頃に熊谷に向けて出発する。

45分頃・・・。すでに若干の遅れで出発するこの列車は、すぐに上尾で特急と急行に抜かれる。

客車2枚ドアのために乗降の時間が掛かり熊谷到着は定時に着いたことなど3年間で数えるほど。

ホームを行き過ぎて停車する、暖房は故障する・・・。

今だったら考えられないぐらいの正に「鈍行」。

1979年5月 高崎線。

新町の鉄橋。

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粒子が粗れている。

ネオパンSSS。コントラストは付くが濃いめのネガにするとこの有様。

普段はトライXなのだが・・・。

 

 

この前の年から、リバーサルを撮り始めた。

キャノンAE-1とEFでモノクロとリバーサルを使い分けていた。

間もなくマミヤのC220がラインナップに加わる頃。

どうしてもサブ的になってしまったモノクロ35mm、それだけに記憶の薄い写真が出てくるのも

事実。しかし、まだまだ続く35mmモノクロアーカイブス。

 

せっせとスキャンしなくては。

あー眼が疲れる・・・でも楽しい。

 

青春してたなぁ・・・。

 

 

で写真は、今では橋梁架け替えとなった神流川鉄橋。

ヤシオ館の看板が思い出される。

 

 

1979年5月                          新町~神保原。