鉱山を想い出して・・・。

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国策、エネルギー政策の下、切り捨てられていった夕張。

 

先日、足尾へ行った折、ふと3年前に訪ねた夕張で見かけたポスターを思い出した。

 

 

北炭夕張のガス突出事故の日の朝、NHKのニュース。

昭和56年10月・・・。

サイレンが鳴り響き、次々と運び出される遺体。

その後、二次災害でもある火災を鎮火させるために、生存が確認されること無く

鉱内への注水により、事故は終わりを迎える。

 

ニュースは、まるで静止画像のような紅葉が始まった一見穏やかな夕張の山、そぼ降る雨の景色を伝えていた。

 

 

あの頃、北海道や九州からの炭鉱離職者がたくさん首都圏へ流れてきた。

当時自分の住む埼玉にも、友達のお父さんが炭鉱出身で、黒いダイヤ、金の卵

と呼ばれた時代を懐かしみ、話してくれた一説を今も忘れない。

 

 

2007年9月                夕張地内。

 

雪の無い岩原。

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12月の30日頃ではなかったか。

本当に雪が無い。

 

もっとも年が明けて本格的な雪が降ったのだが、この年は年末年始のスキー場は

雪不足だったように記憶している。

 

グリーンの帯が1両・・。

この頃から帯が消えていったのかな。

それにしても、181といい165といいかっこいいねぇ。

 

 

1979年12月                     岩原スキー場前~越後中里。

 

冬の朝。

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バイクにカメラバックと三脚をくくりつけ、大宮から。

 

日の出の頃、まずは暖気運転をして。

さぁ出発。

手がかじかむ、足の指先も・・・。

オレンジのジェットヘルから出ている顔に当たる風が冷たい。

波久礼から金尾峠を越え長瀞へ。

空気が変わるのはちょうどそのあたり。

 

さぁデキがやってきた。

楽しい一日の予感。

 

 

1979年12月                  長瀞~野上。

 

桑畑の小径。

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秩父の地は、かつてこの桑をとても大切にしていた。

 

蚕のための桑。

夜になるとサワサワと蚕が桑を食む音が一階にいても聞こえてきたそうだ。

 

冬枯れの桑畑のこみち、霜柱が解けていく。

貨物がガッタンガッタン過ぎてゆく。

 

 

1979年12月                 野上~上長瀞。

 

デキたち。

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秩父鉄道で忘れてはいけないのは、デキたち。

 

鉱石列車はもちろん、普通貨物とあわせるとたくさんの列車が走っていた。

旅客と貨物の比率は6対4ぐらいだったのでは。

 

 

デキ4はまだ茶色だったかなぁ。

デキ300はシールドビーム改造前だ。

 

 

1979年12月                 上長瀞~親鼻。

 

長瀞で。

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休日になると東上線経由でこんなのも乗り入れていた。

 

東武や国鉄の車両が入線すると、パンタ昇圧と材質の関係で

架線が痛むようなことを、保線の仕事をする彼の父親が話していたのを

思い出す。

 

彼の両親が亡くなって久しい。

ホンダの研究所に勤める彼は、たまには故郷に帰っているのだろうか。

 

会わなくなって暫らく時間が経つ。

今以って思う。この頃の写真が撮れたのは彼のおかげ。

元気でいるか。

 

 

1979年12月               長瀞駅。