廃線の前に少しだけ。

魚沼線での撮影。

新幹線開業前の上越線撮影の折に寄り道した唯一の訪問。

来迎寺から西小千谷への短い路線でした。

今で言う関越自動車道の小千谷を過ぎて丁度越後製菓のあたりだったかな。

1982年10月   魚沼線。

「廃線の前に少しだけ。」への5件のフィードバック

  1. 銀の道。さんと同い年で新潟県在住ながら、魚沼線は見た事も乗った事もない未知の路線のまま消えてしまいました。
    西小千谷にあった高校の通学専用線のようだったと聞いた事があります。
    手元にある81年の時刻表をみてみると、朝夕に各2往復、来迎寺~片貝の区間運転が1往復、学校が半ドン(懐かし!)の土曜日は昼に1往復といったダイヤでした。
    話はそれますが、半ドンの午後って今の連休よりなんかワクワクしたなー(笑)

    1. 魚沼線は自分もこの時の一回きりです。84年3月の赤谷線と魚沼線そして会津の日中線と同時に廃止になりましたね。今の只見線新潟側に匹敵するようなダイヤだったんですね。
      半ドン・・さぁ出かけるぞっていうようなワクワク、今の連中にはわかるかなぁわかんねぇだろうなぁ・・ですね。

  2. 1982年2月、「とき1号」高崎乗り換えで土合駅訪問、水上に戻って「よねやま」で柏崎を経て青海川駅訪問、折り返して夕方の魚沼線に来迎寺から往復しました。雪がしんしんと降る中をがら空きの気動車で。
    新潟に住んでいた当時、何度か沿線を通過することはあっても、あの雪の夜の思い出とどうしても結びつきませんでした。本当にここに線路があって乗ったのかと。
    来迎寺からは長岡へ出て、鮭寿司買って最終1本前のときで帰京。
    読書好きの当時つきあってた女子との日帰り旅でした。胡瓜に味噌つけたのをサカナにブランデー呑むような酒豪でしたが元気かな?

    きのこクーラーさま、大変ご無沙汰しておりまする。ご城下に参内できず申し訳ございませぬ。

  3. 切符が出てきました。
    記憶がないのですが都区内から小千谷往復を用意していたようです。と、いうことは青海川も勢いで行ってしまった?…みたいですね。
    西小千谷から290円に対しての小千谷までの不足分を2026M、「とき26号」に乗ってから精算したと読み取れます。原券があったってことは西小千谷では切符が買える=駅員がいたわけですね、どれほどの仕事があったのだろう?
    変な買い方をしたのはたぶん、「小千谷まで」と言うのが恥ずかしくて適当に「長岡まで」とか言ったのだと思います。

    1. 旅をしていましたねぇ・・。
      あの頃の列車は旅情がありましたよね。彼女との旅情旅・・なんか良いです。しかし土合、青海川、西小千谷思いっきりマイナーなのが同感できます。そういえば土合はもちろん青海川も山のついでに駅寝したことを想い出しました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA